
*TOP画像/治済(生田斗真) 定信(井上祐貴) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」47話(12月7日放送)より(C)NHK
「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は江戸時代における「流刑(遠島)」について見ていきましょう。
江戸時代において「島流し」は死刑の次に重い罰
「べらぼう」の47話では、治済(生田斗真)は阿波の孤島へと定信(井上祐貴)や長谷川平蔵宣以(中村隼人)の判断で送られました。治済を葬って、瓜二つの能役者・斎藤十郎兵衛を替え玉とする企てですが、多くの人たちを殺めてきた治済に流刑(遠島)が科されたという見方もできます。

治済を運ぶ役人たち 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」47話(12月7日放送)より(C)NHK
日本では古くから流刑は死罪に次ぐ重い罰でした。「平家物語」においても僧と武士が平氏の打倒の画策に加わったとして、薩摩の鬼界ヶ島に流されています。
江戸時代において、流刑は「遠島(えんとう)」と呼ばれており、死刑に次いで重い刑罰でした。各地の諸藩や奉公所は流刑地を備えており、江戸を含む東日本の受刑者は伊豆諸島、大坂(現:大阪)を含む西日本の受刑者は隠岐(おき)諸島、天草(あまくさ)諸島、壱岐諸島、五島列島などに送られました。
遠島の刑期は基本的に無期であったものの、赦免状(しゃめんじょう)が発行された場合は帰還が許されたといいます。
江戸時代に「遠島」が科された主な罪とは?
江戸時代において遠島が科された罪は、主に以下のとおりです。
・15歳以上で殺人、放火を企てた
・殺人の手伝いをした
・強盗傷害を働いた
・指図を受けて人を殺した
・女を犯した(寺持ち僧)
・幼女を強姦した
・口論の上で相手に重度の後遺症を負わせた
・不当な言いがかりをつけられ、刃傷沙汰となり相手を殺した
・江戸十里以内で鉄砲を許可なく所有した
遠島は現代でいう無期懲役に相当する重い刑罰です。殺人関連の罪を犯した場合や相手に致命傷を負わせた場合に言い渡されることが多くありました。また、殺人関係で遠島となるのは、主犯というよりは従犯(片棒を担いだ者)や、故意ではなく過失・誤殺によるケースがほとんどです。
流刑先で、どうやって生きていくのか
遠島は流刑先の規則に縛られ、役人や島民の監視のもとで生活を強いられましたが、牢屋に監禁されるわけではありません。
流刑先では基本的に自給自足の生活を強いられました。多くの者は島民とともに漁業や農業に従事して生計を立てていましたが、手先が器用だったり特別な技術を持っていたりする人は、自分の能力を活かして暮らすケースも少なくありませんでした。例えば、絵師として活躍したり、島民の家系図を作ってあげたり、あるいは故郷の藩の特産品を島民に教えて信頼を得たりして、生活を成り立たせていた人もいたのです。
さらに、遠島の判決を受けた者の中には流刑先で島民と結婚し、子どもを授かった人も珍しくなかったようです。
役人に逆らい、殺されても「事故死」扱い
流刑先での厳しい暮らしの中で、脱走を試みる者やルールに従わない者も珍しくありませんでした。流刑地で新たな罪を犯した場合、役人によって残虐な私的制裁が加えられることがありました。
その代表的な例が八丈島で行われた突き落としの刑です。罪を犯した者を崖や山頂、火山の噴火口などから突き落とすというものでした。即死せず重傷を負った場合、助け上げられることはなく、そのまま放置されて死に至ることがほとんどでした。
流刑地での処罰は幕府の許可が必要だったため、役人による私的制裁は表向きは「事故死」や「転落死」と処理されるのが常でした。
江戸時代の牢屋でも、役人が勝手に囚人を殺すことは禁じられていましたが、入牢者同士の争いによる死亡が黙認され、記録上は“病死”などと偽られることが多かったのです。適切な管理が行われていたとはいえない状況でした。
身分が高い人は流刑先でどのような暮らしをしていたの?
身分制度が厳然としていた江戸時代、流刑先においても身分は考慮されました。武士、高僧、有識者などは高級流人として扱われ、特別待遇でした。
彼らは島役人の離れや寺などそれなりの住居を与えられたといいます。さらに、家来を同行させる者までいたそうです。
本編では、江戸時代の「流刑(遠島)」という制度のリアルから、治済に下された“大河ならではの刑罰”を読み解きました。
▶▶「毒饅頭で仇を討つ」息子に父を裁かせた衝撃の結末──治済が辿った“結末”を読み解く【NHK大河『べらぼう』第47回】
では、ついに決行された治済成敗の全貌と、蔦重・定信・家斉、それぞれの胸の内を丁寧にひも解きます。
参考資料
河合敦『禁断の江戸史~教科書に載らない江戸の事件簿~』 扶桑社、2024年
牢獄研究会『図解 牢獄・脱獄』新紀元社 、2011年



