本作は、知られざる「夜逃げ屋」の仕事や、失踪者と残された人々の心の葛藤と和解の道のりを、没入感のある映像で描くドキュメンタリー。リサーチ1年、撮影4年、編集1年という、6年の歳月を経て完成した。
日本では毎年約8万人が失踪する。その多くは帰宅するが、数千人は完全に姿を消してしまう。彼らは「蒸発者」と呼ばれる。人間関係のトラブル、借金苦、ヤクザからの脅迫など、理由はさまざまだ。いわゆる「夜逃げ屋」の支援を受ける者もいる。すべてのしがらみを捨て、どこか別の場所で新しい生活を始める。深い喪失や挫折と、人生をゼロからやり直す希望が交差する。
本作では出演者たちのプライバシーを保護するため、一部にAIディープフェイク技術を使用している。ドキュメンタリー映画におけるこの技術を用いる例はまだ少なく、その試みも注目を集めている。制作が開始された当時、本作は日本国外での公開を想定していた。しかし、6年にわたる制作期間中にAI技術が目覚ましい発展を遂げた。そのことによって、撮影地である日本での劇場公開が可能となった。
具体的な技術工程について、まず生成AIに、現実には存在しない架空の人物の顔写真を生成させた。さらにAIディープフェイク技術で、その新しい顔を映像内の取材対象者の顔と融合させ、元の顔の表情の動きを分析し、その動きを完全に新しい顔に模倣させることで、新たな人物像として再構成した。
公開に先立って行われたマスコミ試写会では、「何がディープフェイクなのかわからなかった」「一瞬、ボカシが外れたのかと思った」といった声も聞かれた。
この度、本作で使用されているAIディープフェイクのサンプル映像が先行公開された。映像では、出演者のプライバシーを守りながら証言を記録するために用いられた技術の一端として、一般的な「ボカシ」加工から、AI技術を用いたディープフェイクへと移行する様子を確認することができる。

アンドレアス・ハートマン監督と森あらた監督は次のようにコメントしている。「本作の日本公開にあたり、出演者の安全を守る最善の方法としてAIディープフェイクを使用したのは、匿名化しつつも表情は再現できるため、海外版が持つ没入感を保てると考えたからです。ただしAIの使用は最小限に、重要な心理描写のみに用い、それ以外はぼかし処理をしました。映画はぼかしから始まり、霧が晴れるように蒸発者たちの〈顔〉が徐々に現れます。あえてAIを始めから使わないことで、観客が感情に視覚的に触れる瞬間を大切にしています。また、過度な写実さは避け、わずかに人工的な顔にすることで、観客が一目でAIとわかるようにもしました。ドキュメンタリーにおいてAIの使用はまだ希少ですが、この新技術を必要最低限、不可欠な目的で使うことで、本作がその良い先行例となることを期待しています」。
また、著名人による推薦コメントも到着。ライターの武田砂鉄は「なんとか見つかってほしいと思う。なんとか見つからないでほしいと思う。こう並べると、ものすごく矛盾する2行だが、観終わった自分の心の中で併存している」と評した。映画作家の想田和弘は「蒸発って"逃げ場"なんだなあ。みんな消えたいんじゃなくて、生きたいんだ」とコメント。
社会学者で「失踪の社会学 親密性と責任をめぐる試論」著者の中森弘樹は「本作には、世界各国の人々が、日本の『蒸発』に惹かれる要素が詰まっている。失踪を『蒸発』というどこか他人事のような比喩で表現しつつ、その言葉を使いつくして忘れてしまうほどには失踪を違和感なく受け止めてしまう感性。そこに虚無を感じるか、自由への余白的なものを見出すかは、本作を観るあなたに委ねられている」と分析。
批評家、日本映画大学准教授の藤田直哉は「匿名性を維持しつつ、人間的な生々しさを伝達する。この『善きディープフェイク』の使い方は、顔を出せない人たちの『顔』、声を発することのできない人たちの『声』を可視化し、共感可能性を高めることで、社会の認識を大きく変えていくことになるはずだ」と技術の意義を強調している。
『蒸発』は3月14日(土)よりユーロスペースほか全国にて順次公開。



