
50歳を迎えるころ、これまでの働き方や暮らし方を見つめ直し、「この先の人生をどう生きるか」を考えるようになる人も多いのではないでしょうか。
シリーズ「50歳から考えるこれからの仕事と暮らし」では、人生の折り返し地点から新たな一歩を踏み出した人たちの選択と、その先に広がる暮らしを取材します。
本編では、東京都出身の平田夢乃さん(仮名、56歳)が、二拠点生活で気づいた、これから先の人生で大切にしたいことについてお届けします。
◾️平田夢乃さん(仮名)
東京都出身。東京都と岡山県で二拠点居住を始めた56歳。23歳の長男は昨年結婚し、現在は58歳の夫、14歳の犬と一緒に暮らす。
【50歳から考える これからの仕事と暮らし #7 前編】
都会中心の暮らしを見直す転機
バブル華やかなりし頃、東京都心で青春時代を過ごしていた夢乃さん。中学から大学まで東京都・渋谷区の私立学校に通い、「渋谷は庭だった」と笑います。大学卒業後は一般企業に就職し、25歳でアパレル関係の会社に転職。30代前半で結婚・出産を経て、息子さんが3歳のときにフリーランスとして復職しました。30〜40代は子育てをしながら、仕事もバリバリとこなしていたといいます。
「仕事は大好きでしたが、若い頃は朝まで働く日が続き、気づけば体を壊していました。クライアント対応のストレスも重なり、免疫力が落ちていたのかインフルエンザを続けざまに罹患したこともあります」と振り返ります。
この先も、東京で働きながら生きていくのだろうと疑いもしなかったある日、思いがけない、変化のきっかけがありました。それは、48歳のとき、夫が岡山県の実家を相続したことでした。
「何代も引き継いできた立派な田舎の家で、夫にとっては小さい頃によく訪れていた大好きな場所でしたので、壊すという選択肢はありませんでした。夫はきょうだいの中で唯一の男子。『家は男が引き継ぐもの』という、田舎ならではの暗黙のルールもあったようです」
人混みが嫌になり、自然のある豊かな暮らしが心地よく感じるように
夫が相続したのは、岡山県瀬戸内市の牛窓町にある、瀬戸内海が見える古民家でした。おだやかな海を眺めながらテレワークをすると本当に気持ちがよく、「東京のマンションから見える景色とはまったく違って、心までおだやかになりました」と話します。もともと自然のある場所へ旅することは好きでしたが、“暮らす”ことで見える景色はまったく違います。目の前の美しい海も日々表情が変わり、季節の移ろいを肌で感じられました。
「ご近所さんとのささやかなやりとりも、都会では得られない心地よさをくれました。両親が江戸っ子で、田舎に縁のなかった私には、その距離の近さが新鮮で……。友人には『田舎を知らないから新鮮に思えるだけよ』と言われますが、私にとっては、むしろ都会の人混みに居心地の悪さを覚えるようになっていったんです」といいます。
日本各地で自然災害が相次いでいるなか、暮らし方への考え方にも変化が生じていました。
「以前は訪問先の近くでパソコン仕事をすることが多かったのですが、震災以降は『今もし地震が来たら』という不安が頭をよぎり、自宅の近くへ、早めに戻るようになりました」
「災害でつらい思いは避けたいという思いが強まるにつれ、『人混みで被災したら怖い。田舎にいたほうが安心かも』『田舎の家を整えておけば、息子たちの避難先にもなる』と考えるようにもなっていきました」
とはいえ、友人のほとんどは東京にいますし、
「移住後、先に夫が亡くなったら——。その後の人生はどう生きていくのか」
明確にイメージできませんでした。
夫は「晩年は岡山で暮らしたい」と話していましたが、夢乃さんにはまだ迷いがあり、完全移住には気持ちが追いついていない状態でした。
その後、コロナ禍に突入し、移動が制限された期間は牛窓町への足は一時、遠のきます。ちょうどその頃、職場のストレスが大きかった夫が難病を発症。「歩けないし、手も自由に動かせない。正直、絶望的でした」といいます。
しかし、良い医師との縁に恵まれ、治療が功を奏して、約2年で在宅のフリーランスとして社会復帰できるまでに回復。再び岡山へ通うようになりました。
後編▶▶「48歳から8年の「二拠点生活」で見えてきた「自然と共生する整う暮らし」。老後を笑顔で元気に暮らすための完全移住という選択」では、初めは移住に消極的だった夢乃さんが、二拠点生活で岡山の人たちと交流するうち、田舎のよさに目覚めていった話をお届けします。



