伊集院光「落語家時代に救ってくれた野球選手」
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2011年01月17日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて"ちょっといい話"をしていたのでご紹介したい。
伊集院は小学生の頃からの日本ハムファイターズの大ファン。当時のファイターズに工藤幹夫という投手がいた。1981年、巨人との日本シリーズでは2勝4敗と敗れるが、その2勝をあげたのが工藤だ。シーズン中、勝ち星に恵まれたわけではない。
伊集院「0勝7敗の時点で防御率トップ。味方の援護が無くて全然勝てない不運のピッチャーだったんだけど、そこから全ての運が逆転したかのように、彼が中継ぎした時だけ日ハムが逆転するという現象が起こったんですよね」
翌年、後期優勝するもののプレーオフで西武に破れ2位に終わる。ツキの波と実力の開花した工藤。シーズン途中に骨折し、復帰は絶望とみられていたが、プレーオフ第1・3戦に先発し「一世一代の大芝居」として話題を呼んだ。工藤はその年20勝し、ピッチャーとしてのタイトルはほぼ総なめにしたが、83年に肩を壊して88年に野手に転向するもプロ野球人生を終えた。
その頃、伊集院は落語家の仕事を始めていたが、色々なことがイヤになり、サボり癖、怠け癖が出て「もうやめようかな」と思っていた。「本来は鞄持ちをしなくちゃいけないのに、稽古もさぼって多摩川の土手で日ハムの二軍の試合を見に行こうと思ったんです」
試合を見に行くと、背番号90番の選手がフライを受けていた。「そんな背番号の内野手いないだろう、って思って顔を見たら工藤だったんです」
見学をしていた知らないオジサンに「工藤は練習生として戻ってきたらしいよ」と聞いた伊集院は「20勝した工藤は、こうやってまだ頑張っている。それなのに俺はまだ成し遂げてないのに何も頑張ってない。もう少し落語家を続けてみよう」と、落語家を続ける道を選んだ。
しばらくして「アノ人は今」という雑誌の特集で工藤の現在を知る。秋田でスポーツ用品店をやっているという記事だった。本当に工藤がやっているかはわからない、けれどお店に行ってやってなかったり、空振りしてもラジオで話せればいいかな、と思い、伊集院は大雪で特急も止まっている悪天候の中、鈍行で秋田に向かった。
「ラジオをやってて良かったなって思うのは、この唇だけ残ってれば何とかなるなってことだね」
伊集院は無事、ファンだった工藤と会えたそうだ。工藤いわく「僕が諦められなくて内野の練習をしてたのは2ヶ月だけで、多分ノックを受けてたのは10日もない。その時に会ったんだな」ということだ。ほんの少しの偶然だったのかもしれない。
挫折することは人間ゆえに時折あるだろう。しかし、努力したことは誰かの力になることもある。ちょっと心が温まるいい話だ。
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