K-1の危機
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もともと日本でK-1がメジャースポーツになった頃はヘビー級が中心で佐竹、武蔵の2人しか日本人で知名度のある選手はいなかった。しかし2002 年、それまで日の当たることのなかったミドル級(70キロ)をメインとした「K-1 WORLD MAX」が誕生することになる。
ヘビー級と比べ人類最激戦区と呼ばれるミドル級には実力のある日本人選手は多くいた。その中から厳選されたまさに日本最高峰のキックボクシング大会で魔裟斗の名が日本中に知れ渡ることになった。
02年当時の魔裟斗はジェロム・レ・バンナのように相手をなぎ倒すようなファイトスタイルだったが03年にアルバート・クラススをKOして世界チャンピオンになったころから相手から攻撃を受けないディフェンス重視のスタイルに変わっていく。
全ての技において高いレベルにあったコンプリートファイターだが特にスピード、動体視力、打たれ強さには突出したものがあり日本人選手の中では存在感がまるで違っていた。今でこそサッカーの本田圭佑が「ビッグマウス」などと注目を集めるが魔裟斗のビッグマウスぶりは半端ではなかった。2人に共通するのはビッグマウスで自分にプレッシャーをかける。そして結果をだすこと。
08年の世界トーナメントでは魔裟斗は魂のファイトを見せた。初戦の相手は日本人No2として常に魔裟斗の影に隠れていた実力者・佐藤嘉洋。先にダウンを奪われる波乱も猛然と反撃しポントを奪い返した。決勝の相手は新鋭アルトゥール・キシェンコ。2Rに強烈なパンチを浴び再びダウンを奪われるも、ここから信じられないような反撃を見せ延長戦の末に世界チャンピオンのベルトを奪い返した。
魔裟斗が2度もダウンしたことから、この年から能力に陰りが見られていたとの声もあるがそれは違う。これまでは卓越したディフェンス能力で決定打をもらうことが少なかっただけ。この08年の決勝トーナメントは「守り」を捨て去り真っ向から相手に勝負を挑む完全なる挑戦者だったからだ。無難に戦い優勝することも出来たかもしれないが魔裟斗は敢えて茨の道を選んだ。あのトーナメントを思い出すたびに鳥肌が立つ。
K-1の現状は経営者側にも大きな問題がある。K-1系ファイターが多く出場する欧州最大キックボクシングイベント「イッツ・ショウタイム」のサイモン・ルッツ代表はK-1を痛烈に批判している。ジョルジオ・ペトロシアン、メルヴィン・マヌーフ、ドラゴなど、ファイトマネー未払い金は40万ドルを超えているという。にもかかわずDREAMとK-1はイベントを開催する方向を示した。常識的に考えれば未払い清算を済ませてから大会を開催するのが普通ではないのだろうか。ファンもK-1の復活を望んでいる。一日も早い現状の打破を期待したい。
《NewsCafeコラム》