「夏休みの宿題の魔王」
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思い返してみてほしい、あの「読書感動文」という魔物を。
人間、生きていれば、時と場合によってはこれら幸福・感動が黙示的に強制されることがある。
この「変な強制感」の最たるものが読書感想文なのだ。
大体、読書感想文の課題図書とされている本は今も昔も大筋「感動系」と決まっている。
「がんばったんですね。すごいですね。私もそうやってがんばろうと思いました」
という文言で締めくくり、
「ま、こうやって書きゃ教師受けがいいだろうな」と心の中で毒を吐くのパターンが結構ある。
読書感想文を教師に提出し、それに対し評価が付く、ということは事実上の「思想の検閲」にあたるのではないかとずっと疑問に思っていた。
「提出→評価」という時点で
「ま、ぶっちゃけ本心言えませんわなwww」
と本当の気持ちを隠す傾向が日本人には高いからだ。
たとえば「走れメロス」を読み、
「いやー、今の時点で友情とかに命かけらんねーわ」
「っつかまともに走っちゃうメロスがバカ過ぎ。まず自分ありきだわ」
などと読書感想文に書いたらどうなるだろう。
どんなに丁寧にこれらの気持ちを作文に綴ろうとも、きっと評価は低いに違いない。
教師から「もっと人の気持ちを考えてみましょう」「人に対する思いやりを持ちましょう」と原稿用紙の端っこに赤ペンで走り書きされるだろう。
だからなのだ、読書感想文を苦手とする人が多いのは!
我々は暗に感動を強制される感覚に我慢ならなかったのだ!
そこで私が教師ならこう提案したい。
あえて「感動したこと」ではなく、「ムカついたこと・納得できないこと」に限定して読書感動文を書かせるのだ。
「課題図書はなんでも結構です。激しい怒りを覚えること、いくら読んでも作者に共感できないことを自分の気持ちに正直に作文にしてみましょう」と。
このストレスフルな社会。論理整然と自分の怒りを原稿用紙に綴ることは、感動を綴るより容易かもしれない。
だからこそ某掲示板等で展開される本音・毒舌があれだけ盛り上がっているのだ。
読書感想文なら、どんな感想を述べたっていいんじゃなかろうか。素直に「感動した!」でももちろんいい。
ちなみに私が中学1年の時に「赤毛のアン」を読んだときの本心はこうだった。
「正直、アンより'アルプスの少女 ハイジ'のクララみたいなスカした女子の方が結局、人生楽なんだろうなー。あ、これクラスメイトには言えないわ」。
これはひっそり個人の日記に書かせていただいた。
【執筆者:猫紫】
《NewsCafeコラム》