上岡龍太郎さん訃報に和田アキ子がコメント「胸がいっぱいで言葉になりません」<全文>
芸能
モデルプレス/ent/wide/show
【写真】和田アキ子、美人姪っ子公開
◆上岡龍太郎さん死去 和田アキ子が思い馳せる
デビュー翌年の1969年発売のシングル『どしゃぶりの雨の中で』のヒットで一躍スターになり、多くのテレビバラエティやドラマで活躍した和田。しかし、レギュラー番組が朝日放送の『ラブアタック』1本だけという、55年の芸能生活の中でも不遇の時代があった。その司会を務めていた1人が上岡さんであり、和田との親交も深かった。
今回の訃報を受け、和田は「胸がいっぱいで言葉になりません」とし「上岡さんには、『ラブアタック』で一緒にレギュラーをやらせていただき、本当にお世話になりましたし、本当に可愛がって頂きました」と回想。
「私の誕生日には毎年お祝いに来ていただき、いつも悪ふざけして、少年のようにはしゃいで笑っている笑顔が忘れられません」「本当に残念です。悲しくて仕方ありません」と悲しみの声を上げつつ、最後は「心からご冥福をお祈りいたします」と結んでいる。
上岡さんは1942年3月20日生まれ、京都市出身。1959年、「横山パンチ」の芸名で、横山ノック・横山フックとのトリオ芸人「漫画トリオ」として大阪でデビューするも1968年に解散。その後は、『鶴瓶上岡パペポTV』や『探偵!ナイトスクープ』など多数の番組で司会者として活躍していたが、2000年をもって惜しまれながらも芸能界を引退した。(modelpress編集部)
◆和田アキ子コメント全文
胸がいっぱいで言葉になりません。
上岡さんには、『ラブアタック』で一緒にレギュラーをやらせていただき、本当にお世話になりましたし、本当に可愛がって頂きました。
会う度に『お前は偉いな!頑張ってるな!』と、いつも褒めてくれました。それが物凄く嬉しくて。
『ラブアタック』の収録の後も、ずっと一緒にワイワイ遊んでいただきました。
毎週大阪に行って、上岡さんとノックさんに会うのが楽しみで仕方がなかったです。
私の誕生日には毎年お祝いに来ていただき、いつも悪ふざけして、少年のようにはしゃいで笑っている笑顔が忘れられません。
本当に残念です。悲しくて仕方ありません。
心からご冥福をお祈りいたします。
【Not Sponsored 記事】
《モデルプレス》