アイドル時代は“禁止例”でも「裏でコソコソ(笑)」 人気グラビアインフルエンサーが夢を叶えるまでの壮絶半生<なな茶インタビュー>
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【写真】なな茶、浜松市観光大使就任で涙
◆なな茶、アイドル・グラビアデビューのきっかけ
― 今やTikTokのフォロワーが380万人を超えるほど注目を集める存在ですが、そもそもこの業界に入ったきっかけは?
受験期が始まっても部活が終わってからとにかく勉強したくなかったんです(笑)。その時に、元々小さい頃からスカウトされた経験もあったのでお父さんに「芸能系の学校はほぼ受験しなくていいから芸能を目指したら?」って言われ…なので、受験勉強がしたくなくて芸能界にしたって感じですね(笑)。それで、中学2年生の時にアイドル活動を始めて、高校2年生までは浜松から東京に通いながら生活していました。
― 元々アイドルになりたい、表に出る仕事がしたい気持ちがあった?
全くなかったです。元々スポーツ少女で、全国大会に行くぐらいめちゃくちゃバスケをやっていて、このまま高校、大学でバスケをやって、保育士さんになってと考えていたので、まさかこういう活動をするとは。
― とにかく受験勉強を避けたかったんですね(笑)。
そうですね(笑)。あとは、私お父さんが大好きなので「お父さんがそれだけ言うなら、1回やってみようかな」という気持ちも強かったです。
― 静岡と東京の行き来、学業との両立など苦労も多かったと思いますが、当時の原動力は?
高校1年生ぐらいの時にアイドル活動して、学業もして、バイトもして…というのがすごく辛かったんですけど、浜松での外旋ライブが決まったんです。ファンの方が旗や垂れ幕をいっぱい作ってくれて、それを見て「弱音を吐いてる場合じゃない」と。
― その後、グラビアのお仕事もスタート。どういう経緯だったんですか??
アイドルをやっていた時はSNS禁止例があったんです。でも、私はSNS大好きだったので隠れてTikTokをコソコソ、Instagramも隠れてコソコソ(笑)。そしたらフォロワーがどんどん増えていき、14万人ぐらいいった時に事務所も半公認みたいになり、50万人いった頃に「ヤングジャンプ」さんから声をかけていただきました。
― 当時からSNSへの工夫・戦略があった?
当時、ファンが本当に1番人気ないんじゃないかレベルでいなかったので、どこかで私のことを知ってもらえたらいいなと思って、何も考えずにとりあえず始めた感じでした。元々胸がコンプレックスでずっと隠してたんですけど、フォロワーが増え始めた頃に「みんな胸についてコメント書いてる」って気づき、初めて水着の動画を出したら1日で100万再生行きました。
― そのコンプレックスは、グラビアを始めるときもあった?
グラビアのお話を頂いたときは本当に嬉しかったです。アイドル時代は細くてすらっとしている子が人気で、私はBカップのブラジャーを着けて無理やり胸を潰したり、さらしを巻いたりとにかく小さく見せたかったし、衣装を壊しちゃうことが多くて「痩せろ」って言われたりしたことも。だから「胸が大きくて仕事がもらえるんだ、(大きいことが)悪じゃないんだ」って全然抵抗はなかったです。
― 周囲の反響はいかがでしたか?
お父さんが家の近くのコンビニで買い占めたり、おじいちゃんも雑誌を買って、そのまま「うちの孫だから」って店員さんにあげたり、入院先のお医者さんに渡したり。ファンの方が喜んでくれて嬉しかったんですけども、家族のそういうエピソードもめちゃくちゃ嬉しかったです。
◆なな茶の“原動力”は?動画はどうやってつくる?
― 今はSNS、特TikTokが人気に。傍から見るとあっという間にトップインフルエンサーになった印象ですが、ご自身では?
1年で300万人増やしたんです。100万再生当たり前で、1週間に1回は1000万再生が出てるみたいな状態がすごい楽しくて、数字を伸ばすってアドレナリに出て楽しいな、っていう状態です。
― 特に意識していることは?
天然で、彼女感があって、巨乳で…みたいなコンセプトがあって、「何でそんなところで乳揺らしてんねん!」みたいな。エロ漫画にありそうな感じのことを考えながら歩いて、撮ってますね。
― 台本を用意して計算しているわけではないんですね?
思いつきでやった方が割とバズりますね。でも、やりながら「こういうのを混ぜるといいんだ」とか、インサイトを見てチェックしたり、何時に投稿しようかなって考えたり、そういう意味での計算というか研究はしています。
― 自分で考えて出した数字が、次の数字の原動力になっているんですね。
目標がないと人生はつまらないと思っていて、数字もですし、なにかに挑戦する目標がないとやる気が出ないんですよね。 「今年は何百万人いく、何月までに何人いく」っていう目標を設定してここまで来れたと思います。
◆直談判も なな茶が念願の観光大使就任
― そして先日、浜松市の観光大使「やらまいか大使」に就任。YouTubeで少しお話していましたが、自分から市役所に直談判したそうで。
そうなんです!1回目は観光プロモーションの方に直接足を運び、2回目は、「浜松の市議会議員さん!私の夢を聞いてください!」みたいな感じでした(笑)。ずっと「観光大使になりたい」とは言い続けていて、色んな方にお話もしてたんですけど、言っているだけでは全然なれず、じゃあ自分から行くしかないって思ったんです。
― 今後その熱量で観光大使としてどんなことをしたいですか?
とにかく浜松に恩返しがしたいです。父子家庭だったので、行政から色んな手当をもらって今の私が形成されているので、今度は私がインフルエンサーとして浜松の魅力をどんなに小さいことでも発信していきたいです。
― 行政の方もそれだけの熱量を喜んでくれたのでは?
実は、任命式で市長さんの前で大泣きしてしまい…、それを見ていて市役所の方も一緒に泣いてくださって「本当に起用してよかった」とも言ってくれました。
― 夢だった観光大使になれた今、次の目標は何かありますか?
今は一旦夢が全部叶っちゃった状況かなと思ってます。具体的な目標はまだ見えてないですが、でもこのままでも居たくない。だから、興味があることに取り敢えず手を出していて、心理カウンセラーの資格を取得したり、タロットカードの資格を取得したりとか、中国語の勉強をしたり。そこから派生してアイディアが浮かべばいいかなと思ってるので、とりあえず行動して、何か目標を決めたいです。
― 観光大使のお話もそうですが行動力がすごいですよね。それは昔から?
インフルエンサーになってからより大きくなった感じです。10年間アイドルとして色々制限されていたので、そこから自由に行動していいんだって解き放たれてからだと思います(笑)。行動して失敗することも多いんですけど、とりあえず行動してから考えようっていう性格ですね。
◆なな茶「悲しみを乗り越えられたわけではないかも」
― モデルプレスの読者の中には今、さまざまな不安を抱えている読者がいます。そういった読者に向けて、これまでの人生の中で「悲しみを乗り越えたエピソード」を教えてください。
17歳の時、何回か消えたいって思ってました。
アイドルをしていたんですけど、あまりお金いただけないというか、なんなら交通費も自分で払わなきゃいけないので赤字、 尚且つ上京したばかりで家賃とかも全部払わなきゃいけない、バイトもしなきゃいけないけど高校にも、レッスンにも行かないといけない、毎日寝る時間が1~2時間で朝5時からバイトして…みたいな生活だったので追い詰められてしまって。大学に行ってからもその生活だったんですけど、当時ダンスの先生がとにかく私のことが嫌いで「良い大学に行ってる女はおかしい」「片親の家庭だからお前はおかしいんだ」とか言われたり。全部がその先生のせいではないですけど、そういうことが重なって……。今考えれば、絶対にやめた方が良かったんですけど、当時の私はそこまで考えれなかったし、売れるまで実家に帰らないって決めていたので逃げ道がなかったっていうのが大きかったです。
実際、この経験では悲しみを乗り越えられたわけではないかもしれないですね。時間が解決するとは思わないですけど、新しいこと始めて忘れるのがいいのかなと思います。
◆なな茶の夢を叶える秘訣
― モデルプレス読者の中には今、夢を追いかけている読者もたくさんいます。最後に「夢を叶える秘訣」を教えてください。
「やりたいことを言葉に出すこと」「行動すること」だと思います。
思っていて影で努力してるだけだと誰も見ていないので、努力してることを全面的に出した方がいい。なかなか恥ずかしいからできないと思うんですけども、夢への近道かなと思います。
― ありがとうございました。
(modelpress編集部)
◆なな茶プロフィール
2月11日生まれ、静岡県浜松市出身。身長160、B97・W59・H96。TikTokのフォロワー数は380万人を超え、SNSの総フォロワー数は460万人以上。インフルエンサーとして人気を博し、グラビアでも活躍。2023年10月には地元・浜松市の魅力を伝える親善大使「やらまいか大使」に就任した。
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