市川團十郎「正直好きではなかった」梨園に生まれたゆえの長年の葛藤・歌舞伎役者決意したきっかけ明かす
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【写真】市川團十郎、娘&イケメン息子との密着ショット
◆市川團十郎、歌舞伎との葛藤とは
この日は占いを体験しつつ、自身について語った團十郎。自身の子供時代を「かなり厳しく育てられました。伝統文化の世界に生きているのでやらざるを得ない運命、責務…やりたいものが本当にリンクしているかって言われると、ようやく最近重なってきているけれども」と振り返り「若いときは、歌舞伎ですから、言葉とかお客様にすぐわかってもらえない世界に属してることに対してのジレンマで、『本当に好きなのか?』と言われたら正直好きではなかった。家に生まれたからやらなくちゃいけない責任(だった)」とずっと葛藤があったと語った。13歳の頃には「声変わりがあったんですよね。だからやりたくてもやれない環境下になった」とも口にした。
◆市川團十郎、歌舞伎の道へ進む決意
その後「私の中で(歌舞伎役者)なろうと思ったのは17(歳)ぐらいでした」と團十郎。「テレビとかCMにも出ましたし、歌舞伎の舞台でも」と活動をするようになり「祖父・十一代團十郎の30年祭にちょうど私が17歳だった。その時に祖父に会ってはいないんですけど、祖父に初めて映像の中で出会って、衝撃を受けて…『こういう風になりたい』(と思った)」と決意したきっかけが祖父であったと回顧した。
「歌舞伎町十八番の市川家で最も重要とされる演目の1つ『勧進帳』の弁慶を初役でやったのは21歳(だった)」ものの、「初日の前の日に家から逃げ出した」こともあったという團十郎。しかし今は「歌舞伎が好きだって言えますし、歌舞伎のために生きていけるって思えますし、歌舞伎のためにやらないといけないし、やりたいとシンクロしてきた」と、長年の葛藤を乗り越えたとしみじみと口にした。
◆市川團十郎、歌舞伎の将来とは
また、團十郎は「歌舞伎は現実世界のアーティストですよね。肉体を動かしてやっている。400年くらい前は日本のエンターテイメントは歌舞伎か能しかなかったんですね。どんどん時間が経つとテレビとか映画とか最近だとSNS、メタバースにデジタルツイン。様々な世界が出てくるわけですよね」と時代の変化を感じているのだという。「生身の歌舞伎のアクターが、この空間のデジタル化の時代の時にどうやって歌舞伎を残していくかってことを考えると、そういった事業をすることは歌舞伎にも繋がる」と考えているのだと話した。
「でもコロナの後から2030年前後、のうのうと生きてられない環境が場合によって起こるのではないかなと。今までのように歌舞伎をしっかりやっていく線路を用意しておきながら、そうじゃなかった場合の『準備』を3本くらい線路引いています」ともしもの場合に備えて、将来に向けて道を準備しているとも語っていた。(modelpress編集部)
情報:フジテレビ
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