キラキラした世界に生きていた私がアルコール依存症に。「このままじゃ死ぬよ」と医者から言われ、37歳で入院することになったけれど(前編) | NewsCafe

キラキラした世界に生きていた私がアルコール依存症に。「このままじゃ死ぬよ」と医者から言われ、37歳で入院することになったけれど(前編)

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
キラキラした世界に生きていた私がアルコール依存症に。「このままじゃ死ぬよ」と医者から言われ、37歳で入院することになったけれど(前編)
キラキラした世界に生きていた私がアルコール依存症に。「このままじゃ死ぬよ」と医者から言われ、37歳で入院することになったけれど(前編) 全 1 枚 拡大写真

日々が飛ぶように過ぎていく中、自分のあり方に漠然と迷う40代50代。まるでトンネルのように横たわる五里霧中ですが、そんな中「ほんのちょっとしたトライ」で自分のあり方を捉えなおすには、「最初の一歩」に何をしてみればいいのでしょうか。体験談をご紹介します。

◾️サンちゃん
   京都府在住、51歳、会社員。父と2人暮らし。10代後半から祇園でホステスとして働き、24歳で出産、31歳で店をもつ。37歳で心身の調子を崩して入院後、40歳でリ・スタート。

【私を変える小さなトライ#14】

お酒を飲み続けたホステス時代。気づいたら、精神がおかしくなっていた

ママ時代のサンちゃん(左)。右の男性はサンちゃんのお父上

私はお酒は強いほうだったので、ホステスは天職だと思っていました。10代後半から京都・祇園でホステスとして働き、31歳のときにはオーナーママとして念願の独立を果たし、お店を構えるまでになりました。24歳のときには未婚のまま、子どもを出産。両親はわたしが思春期のころに離婚していましたが、母は自分の店をもった私を「あんた、がんばりいや」と応援してくれて、娘は母が育ててくれました。

夜のお仕事って、夜だけ接客すればいいわけではないんです。昼にゴルフに行ったり、女の子の面接をしたり、お店の経理をやったり、いろいろな仕事があります。お店が開いているのは夜9時から午前1時までですが、夜7時から同伴でお客さんとご飯を食べて、他の店のママが誕生日だといえばお祝いに駆けつけます。店が終わればアフターといってお客さんとよそのお店に行ったり、飲みに出かけたり、それがなければお店の女の子たちを連れてご飯に行きがてら悩みを聞いたり……。だから、家に帰るのはだいたい、朝の5時か6時。次の日にゴルフが入っていたら、そのまま寝ないでゴルフ場に向かっていました。

「昭和」は、ボトルを開けてなんぼの世界。わたしが夜の世界に入ったのは平成でしたが、そんな「昭和」の価値観をまだ、引きずっていました。ノルマもすごかったですし、同伴しないとペナルティがつくなどルールも厳しかった。そのおかげで基礎が作れたと感謝もしています。クラブのママ時代はお金をたくさん稼いだけれど、娘と離れて暮らし、無理を重ねているうちに、少しずつ心と体がおかしくなっていきました。ただおいしくお酒を飲んでいるうちはよかったんですが、私の場合、吐いては飲んで、また吐いては飲む、の繰り返しになっていったんです。飲んでいるから体は酔っ払っているのに、頭はまったく酔わない。そんな状態が続いていました。

「このままだったら死んじゃうよ」。医師の診断は「アルコール依存症」でした

朝起きて、昨日の酔いが残っているから、まず吐く。そんな状態でもまた起きがけにビールを飲むといった、支離滅裂な日々を過ごしていました。記憶をなくして病院に運ばれたり、カバンをなくしたりといろいろやらかしていましたから、周りの人はおかしいと思っていたかもしれません。あるとき、限界がきて、ごはんを食べられなくなりました。

近所の内科で点滴を打ってもらったら、医師から「このままだったら死んじゃうよ」と言われました。アルコールの専門病院を紹介されて行ったら、即入院させられました。その病院で「アルコール依存症」だと言われたのですが、当時の私は自分がおかしいなんてこれっぽっちも思っていなくて、「いやいや、私は仕事で飲んでいるだけですよ。そんなこと言ったら、ホステスはみんな依存症ですか?」って反論して、自分がアルコール依存症だと認めることができませんでした。

その病院でも「あなたが生きる道は断酒しかありません。一滴も飲んではいけません」と宣告されました。それを聞いても「私は違うわ〜」と思っていたんです。「万引きしてでもお酒を飲む」とか、「子どもの貯金箱を壊してでも飲む」とかそういう人とは違って、「私はお客様と楽しく、ドンペリを飲んでいただけなのに」って感じて……。

断酒して13年、それから一滴も口にしていません

あとから知りましたが、「アルコール依存症」は「否認の病気」だといいます。本人は「私は違う。大丈夫」と思っているケースが多いそうです。例に漏れず「私がこんなところにいるのは違う。抜け出してお酒を飲みたい」と思っていましたが、入院仲間に母くらいの年齢のとても優しい方がいて、その方に出会ってからは「3カ月、がんばってみよう」と決めることができました。

そんなこんなで断酒して、私はその後、13年間、一切お酒は口にしていません。そのときにお店は畳んで、私は無職になりました。退院後は「断酒会」という自助グループに通いました。「私は社交的だし、華やかな夜の世界でキラキラとしていたはず。なんでこんなところにいなくちゃいけないのか−−」と、最初は現実が受け入れられなくて、みじめな気持ちに苛まれました。暑い夏、冷えたビールのCMを見て飲みたい気持ちがこらえきれなくなりましたが、泣きながら、なんとか耐えました。断酒を始めて2年間は「オシャレもしたくない」「人と会いたくない」「誰にも見られたくない」とどん底な気分でした。自分のことをみっともない人間だと恥じて、自分を責めて、責めて……。まったく自信がなくなってしまいました。

本編ではサンちゃんがクラブのオーナーママを経て、断酒をするまでを伺いました。続いての記事では、夜の仕事を辞めて社会復帰しようとして挫折し「みじめすぎて悲しくなった」けれども懸命に生きている、現在の生活についてお聞きします。

▶▶お酒を飲むことで「向き合わなくちゃいけないこと」から逃げていたんだと気付いて…。断酒会の仲間や友達の存在に助けられ、人生リ・スタート

 


《OTONA SALONE》

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