【#影響力が増すキャバ嬢】芸能界への夢諦め上京、絶望の淵で救われたライブ配信 両立する中でさらなる高み目指す──東京・六本木「FABRIC LOUNGE TOKYO」櫻りおん
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【写真】ライブ配信と両立する六本木の爆美女キャバ嬢
◆櫻りおんが「キャバ嬢になった理由」
「元々給料的に夜職をすることしか考えてなくて、簡単に稼げるじゃんと思って始めました」と高校生のときから夜の世界で働くことを決意していた櫻。ダンスや歌のレッスンに通い、芸能の道を志していたが「自分より実力が上の人がいると感じたときにその人を超えようとしませんでした」と夢を諦め、キャバ嬢を目指した。反対していた両親であったが、「『世界が全然違うから1回見てきなさい』と言われました。東京に行ったらチャンスは転がってるという考えだったんだと思います」と後押しの言葉をきっかけに上京した。
意気込み十分に18歳の時に上京しキャバクラで働き始めたが、直後にコロナウイルスの蔓延でロックダウン。未成年であった櫻は真っ先に切り捨てられた。職を失って絶望の淵にいたときに救ったのがライブ配信。「始めて4日目くらいに投げ師さんが付いてくれて、50万円ほどの投げ銭をしてもらいました。続けないともったいないと思いました」と何も分からなかったライブ配信の世界で奮闘した。その後20歳のときに「FABRIC LOUNGE TOKYO」に入店。「1番有名なお店で働いて、そこで戦うのが1番なのかなと思って。ファブリックは向上心があれば、誰でも上に上がれるような夢のあるお店です」と現在まで働き続けている。
◆キャバ嬢とライブ配信の両立「睡眠時間がなくて」
18歳から将来を見据え、次の目標を決めていた櫻にとってロックダウンは大きな打撃。「何のために東京に来たんだろうと病みました。でもみんなに半年で帰って来ると言われていたので福岡に帰るのがプライド的に許せなくて…意地で東京に残って頑張り続けていたら6年になりました(笑)」と当時を振り返った。
キャバクラの仕事とTikTokのライブ配信を両立し、忙しい日々を送っていた櫻。「ライブ配信で稼げちゃうので、キャバクラを頑張らなくていいやとなったこともありました。肝炎で入院したときもライブ配信で稼げましたし。でも私の本業はキャバ嬢だよなと思い直して、睡眠時間がなくてきついなと感じながら出勤していました。2つとも頑張ってよかったです」と笑顔を見せた。
上京するときに25歳くらいでキャバ嬢を引退することを決めていた櫻は「結婚したいなとか起業したいなと思っています」と次なる目標を語る。「好きなものを仕事にした方が続くので」とダンスに関わる事業をするために、現在知名度を上げるべくSNSにも力を入れているという。「マネージャーも雇って、今の時代はTikTokなので特に頑張っています」と明かした。(modelpress編集部)
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