日々が飛ぶように過ぎていくなか、自分のあり方に漠然と迷う40代50代。まるでトンネルのように横たわる五里霧中ですが、そんななか「ほんのちょっとしたトライ」で自分のあり方を捉えなおすには、「最初の一歩」に何をしてみればいいのでしょうか。
ライター野添ちかこがオトナサローネ読者にインタビューを行い、リアルな女性の人生をお届けする本シリーズ。今回は母子家庭を支えてきたK美さんが、負担の多い職場から転職を決め、「自分らしい人生」をめざす体験談をご紹介します。
◾️K美さん
近畿地方在住の55歳、28歳の息子と2人暮らし。29歳で離婚後、31歳で貿易会社に入社。事務の仕事をしながら母子家庭で息子を育て上げる。
【私を変える小さなトライ#22】前編
27歳で離婚後、2歳の息子とアメリカから日本へ帰国
24年勤めた貿易会社の事務の仕事を、今年3月末で辞めることにしたんです。「ずっと母子家庭で生活のために働いてきたけれど、息子ももう28歳。これからは自分のために時間を使おう」って。
語学留学で24歳のときにアメリカに渡り、25歳から付き合っていた夫と、できちゃった結婚。しかし、息子が2歳のときに離婚して29歳で日本に戻ってきたんです。はじめは実家に身を寄せていましたが、息子を保育園に預けてパートをしながらお金を貯め、1年ほどで独立。今の仕事に就いたのは31歳のときでした。
両親には子どもが熱を出したときなどに助けてもらっていましたが、経済的には自立していました。息子が18歳になるまでは時短勤務で母子手当を受けながら、18歳を過ぎてからはフルタイムに戻し、なんとか息子と2人で生活していました。
どんどん、体の具合が悪くなって膠原病を発症。そして、眼底出血……
息子が大学生になったときには、交通費を節約するために大学の近くに引っ越しをして、私はそこから1時間かけて通勤していました。東京なら1時間の通勤は珍しくありませんが、地方では列車の本数も少なく、そんなに長時間通勤している人はほとんどいません。そんな生活を10年も続けるうちに、どんどん体調が悪くなってしまって……。
実は私、膠原病を患っているんです。見た目ではわかりにくい病気ですが、つらいときは本当にしんどくて……。ストレスが強くかかると、特にこたえます。息子が大学院まで進学したこともあって、その分、必死に働いてきました。でも、息子も社会人になりましたし、これからは自分一人が食べていければいい。そう思うと、少し気が楽になったところです。
あるとき、テレビを見ていたら、突然視界が砂嵐のようになってしまったんです。卓球の水谷隼選手が「視界砂嵐症候群」になったというニュースを思い出して、私もそれかもしれないと思ったのですが、病院で診てもらうと「網膜が薄くなって穴が開き、眼底出血をしています」と言われました。幸い、大学病院でレーザー治療を受けて事なきを得ましたが、極度の近視の人は眼球がラグビーボールのように変形しており、網膜が薄くなっていて、そこにストレスや加齢が重なると破れやすくなるそうです。網膜は何カ所も破れていたようです。「これはもう、ちゃんと休めってことだな」と、そのときは思いました。
46歳で膠原病と診断され、疲労感、体の痛みを抑えつつ、会社に通う日々
膠原病と診断されたのは、46歳のときです。それまでも原因不明のだるさが続いていて、「更年期かな」と思っていたのですが、手首の痛みがなかなか治らず、調べてもらった結果、それは膠原病の症状だということが判明しました。とにかく、全身の倦怠感がひどくて、関節や筋肉の痛みにも悩まされています。
平日は気が張っているので会社には行けるのですが、休みの日になると症状が悪化して、寝込んでしまうことが多いです。最初の頃は痛み止めを飲むのに抵抗があり、つらくても我慢していましたが、今は無理せず薬を飲むようになりました。朝だけ飲むもの、毎食後に飲むものなど、毎日7種類の薬を服用しています。膠原病は、特に手足の末端がひどく冷えるので、体を温めるための漢方薬も欠かせません。
「もう、この身体で今の働き方は、無理だ」そう思った私は、転職を考え始めました。
そんなK美さんが志したのは、なんと公務員だったといいます。
本編では、シングルマザーとして一人息子を育て上げたK美さんが、長年の無理がたたって膠原病をはじめとした体調不良に襲われ、公務員への転職を考えるまでをお届けしました。
続いての▶▶「生きるのに精一杯だった55歳が職員試験に合格! 転職したら『夢の海外旅行』にも行けるかも」では、負担の少ない職場へと転職を決めたK美さんのお話をお届けします。