さんきゅう倉田です。芸人として執筆や講演、メディア出演をしながら東京大学に通っています。
最近はお笑いライブの劇場に行くと、スタッフの方や作家の方に、「大学たのしいですか」などと声をかけてもらえるようになりました。
そんなとき、ぱっと話せる話をたくさん用意しています。
「東大の医学部教授が医学部卒のタレントにキレている」
そういう話を日本を代表する医療関係者の息子から聞いた。
大学は公金が投入されていて、そこで学ぶ者はその恩恵を受けている。
だから、医者や研究者にならず、ましてや芸能活動をするなんて裏切りである。
これは正しいのだろうか。
東大の友人たちと話し合うことにした。
このタレントさんの名前をAとする。
◀◀◀「え!まさか!?」日本を代表する医療関係者の息子が言った。「東大の医学部教授がキレている」
▶教授の怒りは正しい?「なぜ東大医学部卒のタレントにキレるのか?」分析してみた
なぜ東大教授は怒る?結局は単なる感情論ではないか
友人「A個人の選択の自由を制限できないからこその怒りではないか」
気持ちは分かる。何もできないからこその怒り。無力感が生み出す怒り。Aだけでなく、自分や制度への怒りである。
ただ「公金が投入されてるから自由が制限されるべき」という主張は筋が悪い。ほとんどの大学がそうだし、金額の多寡だけで責めることができるだろうか。基準はない。結局は感情論なのだ。
仮に自由を制限することに正当性があるなら、最初から制限すればいい。東大では2年生の春学期が終わってから学部を選択する。このとき、医学部を選択した学生の自由を制限すればいい。
しかし、そのようなことができるはずがない。個人の自由を制限する理由がないからだ。
東大は入学してまず教養学部に所属する。その後、学部を選択する「進振り」まで1.5年ある。
だから、「そこで医者になりたいかどうか考える時間がある。十分な時間を与えたのに、4年間医学を学んだのち、タレントになるなんて許せない」と前述の教授が言っていたらしい。
▶東大理科三類を目指す理由は人それぞれ
生徒の10%が東大理科三類に合格。筑波大学附属駒場高校の例
医学部に進んでから気持ちが変わることなんて容易に想像できる。構造上の問題が残っているのに、個人に帰着して責めれば、問題は解決しない。
昔と比べて、東大卒の働き方は多様になった。医学部を出ても、医者にならない者もいるだろう。
今年、筑波大学附属駒場高校から15人の東大理科三類合格者がでた。この高校の1学年の生徒数は160人だ。この高校では10%の高校生が医者になりたいと考えているのだろうか。
医療への関心がなくとも、もっとも試験が難しく、賢い学生が集まるという理由で理科三類を受験した者がいないだろうか。。
東大側の受験の仕組みが、高校生の受験の志向を無闇に誘導していないだろうか。
▶タレントになったくらいで批判しないでほしい
学び始めて、働き始めて「やっぱ違うな」と思うこともある
そういう問題が残っているのに、タレントになったくらいで批判するのか。
また、タレントではなく、エンジニアや官僚になった場合はどうだろうか。タレントであるだけで、不当な差別をおこなっていないだろうか。
怒るのは分かる。自分の研究の時間を削って準備をして講義し、信じて育てたのだ。
でも、気が変わることもあるさ。
本格的に学んで「やっぱ違うな」と思うこともあるし、働き始めて「やりがいがないな」と思うこともある。
職業選択の自由を蔑ろにして、おじさんたちで集まって責めるのは大人気ないのではないだろうか。
これからタレントになる東大生のみなさん。
タレント活動によって、卒業後の進路に悪い影響があるかもしれません。少なくとも良い影響はほとんどない。安易な気持ちで事務所に入ったり、YouTubeで顔を出したりしない方がいいかもしれません。
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