小泉今日子、亡き中山美穂さんとの思い出振り返り涙「会ったら話したいことがたくさんありました」
芸能
モデルプレス/ent/wide/show

【写真】中山美穂さん、死去前日のインスタ投稿
◆小泉今日子、中山美穂さんとの思い出振り返る
今回の会は、関係者約800人が参列した第1部、これまで中山さんの活躍を見守ってきたファン向けに行われた第2部の2部構成で実施。第1部には、喪主を務めた妹の中山忍のほか、豊川悦司、香取慎吾、片岡愛之助、藤原紀香、石田ゆり子など著名人が参列した。
式では、「KING RECORDS」のプロデューサー福住朗氏、映像作家の岩井俊二氏、昔から交流があることで知られている女優の小泉がお別れの言葉を述べた。
アイドル界の先輩であり、中山さんが実の姉のように慕っていたと紹介された小泉。初めに「初めて会ったのは、テレビ局の控室。狭い部屋を2人で使うことになったんだよね」と話し始め、「人見知りなあなたは、上手に微笑むことさえできなかった。その時あなたはまだ16歳。右も左もわからない新しい世界に飛び込んでしまって怯えているこのようでした」と中山さんとの出会いを振り返った。
16歳で芸能界に飛び込んだ中山さんについて「誰も信用させないという強い意思が宿っていました。その瞳がずっとあなたの魅力だったよね」と明かし、「その瞳を見た瞬間に、この子とは仲良くなれそうだと思ったのでした」と語った小泉。中山さんと友人になり「旅行に行ったり、一緒にお酒を飲んではしゃいだり、楽しい青春の時間をたくさん過ごしました」と振り返りつつ、懐かしんだ。
その後、「それぞれの人生が新たな局面を迎え、会う機会が減り、美穂はどうしてるかなと思いながらも、日々に忙殺され、ほっといてもきっとどこかで必ず会えるでしょうと思っていました」と話した小泉。「会ったら話したいことがたくさんありました」とし、祭壇の前でお別れの言葉を話すことについては「想定外でした」と悲しんでいた。
◆小泉今日子、中山美穂さんの素顔語る
最後に小泉は「天国で出会った方たちのために、美穂の取り扱い注意を箇条書きで記します」とし、友人だからこそ知る中山さんの素顔について説明。1つ目には「ものすごく楽しそうにはしゃいでいる時は、心の中に大きな問題を抱えている可能性があります。寄り添って目を離さないでください」と語り、2つ目には「機嫌が悪そうに見える時には、美味しい食べ物やお酒を与えると簡単にご機嫌になります」と涙ながらに語った。
3つ目には、「自分の気持ちを言葉にするのが苦手です。それ限界まで我慢してしまうことがあります。そんな時は抱きしめてあげてください」と告白。4つ目には「根が優しいので、すぐに人を信用してしまい、騙されたり利用されたりすることがあります。守ってあげてください」、5つ目には「根が素直なのでよく泣きます」と語りかけ、最後には「よく頑張ってね。美穂ありがとう。可愛い妹。美穂、元気でね」と結んだ。
◆中山美穂さん、“ミポリン”の愛称で親しまれたアイドル女優の先駆者
中山さんは1970年3月1日生まれ、東京都出身。愛称はミポリン。1985年にドラマ『毎度おさわがせします』で俳優デビュー。同年シングル『C』で歌手デビューを果たし、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。代表曲に『世界中の誰よりきっと』、『ただ泣きたくなるの』などがある。1995年の『Love Letter』では「第38回ブルーリボン賞」主演女優賞を始めとする映画賞を多数受賞。1997年の『東京日和』では「第21回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞」を受賞するなど、1980年代から1990年代にかけて歌手・女優の両分野で活躍し、数々のヒット作を生み出した。2024年12月6日に入浴中に起きた不慮の事故で亡くなった。(modelpress編集部)
◆「中山美穂 お別れの会」参列者
【Not Sponsored 記事】
《モデルプレス》