梅宮アンナです。大安吉日の5月23日、世継恭規(よつぎ やすのり)さんと結婚しました。いま私たちは新婚です。
驚かれると思います。誰に伝えても驚かれますし、私も驚いています。私がいちばん驚いているかもしれません。
旦那さんのことはよっちゃんと呼んでいるので、よっちゃんと呼びますね。よっちゃんとは出会って10日での結婚でした。
はじめに、私のこと、彼のことを
どんな人ですか?と聞かれます。アートディレクターです。
彼のこれまでのお仕事については、ぜひ彼のサイトをごらんください。さまざまな国で情熱と誇りを持って仕事に向き合ってきたプロフェッショナルであり、でも話しだしたら止まらない、楽しいことが大好きなかわいらしい人です。
パッションの人、高い美意識を保ち続け、いつでも新しいことに挑んできたアーティストで、そして何より、曲がったことが大嫌いで嘘のない正義の人です。この人が見つめる世界の中にいま自分の姿が入っている、このことを長くモデルとして生きてきた表現者のはしくれとして誇りに思います。
アンナちゃん、病気は大丈夫なの?と聞かれます。小葉がんステージAと判明した日からもう10カ月以上、いろいろなご声援をいただき続けて今日があります。本当にありがとうございます。そしてこの2週間があまりに激動で、私は自分の病気のことをすっかり忘れています。
まず、闘病のために増やしていた体重をそろそろ落としたいタイミングでした。ですが、気がついたらストンと7痩せていました。あれだけ痛い痛いと言っていた右半身も、今日気づいたら嘘のように痛みが消えています。あれだけ恐れていたリンパ浮腫も、むくみそのものがすっきりと取れてしまいました。2週間前とは私の体がまったく違うと実感しています。もちろん傷痕はまだ痛いのですが、水平になるたびのたうち回っていたじわじわとしたあの痛み、血管が重力で引っぱられて膨張するような痛みが消えました。みんなには「恋の魔法だね」って言われます。標準治療を選び、がんばって治療してきたからこその魔法ですよね。
どのように知り合ったのですか?とも聞かれます。川村中学校時代の同級生、アリサの紹介です。「ふたりは合いそうな気がするんだよね」と彼のインスタを教えてもらったら、本当にとても話が合いそうで、私はすごく会いたいって思ったの。でも、よっちゃんは最初「梅宮アンナが会いたいって言ってる」と聞いて、仕事の依頼だと思ったそうです。
パーティーで何度か挨拶した記憶はあるけれど、大きな病気をしていることなんて知らなかったそう。最近はどんな活動をしているのかなとアリサに教わった闘病記を読んで、「あとに続く誰かの役に立ちたい」という発信に共鳴、「すぐに、すぐに会いたい!」とアリサに懇願してくれました。
そして3人でのお食事に招かれたのが5月14日のことですが、ここでもまだ「どうせ遊んでばかりの高飛車な女だろう」という先入観を持っていたよっちゃんは、「こんなに深々とお辞儀をする女性だなんてずいぶんイメージと違うなと驚いた」と言っています。
その日の2軒目、そのときはまだ長髪だったよっちゃんは、みんなに「髪を切ったほうがいいよ」と言われました。「じゃあアンナちゃん、僕が髪を切ったらつきあってくれる?」と言い出し、みんなが「そんなこと言っちゃダメだよ!」と慌てる中、私は「うん」と答えました。
「結婚していれば『旦那さんだから』でOKだよね」
でもね、芸能人はどうしても写真を撮られたり、記事になったりするでしょう? つきあうには覚悟が必要ですし、やっぱり記事になった瞬間ほとんどが壊れるんです。だからみんな隠して隠して、撮られて壊れる。そんな悲劇をいやというほど見てきました。
ところがよっちゃんは「僕みたいな人と歩いていると『なんだあいつ』ってなるでしょ? でも結婚していれば『旦那です』って言えて、そうか旦那さんかでOKだよね」、だから隠すよりむしろ結婚しようと言うんです。3回目にお会いしたとき「結婚前提でおつきあいしてください」と言われました。
私、がん治療での通院中、待合室でお見かけするご夫婦のみなさんを「うらやましいな」と思っていました。もちろんお一人でいらしている方も多いし、私にしてもママや娘の百々果、誰かが一緒に来てくれていて、それにはとても感謝しています。ママ友であり学校の先輩でもある夕美さんは放射線治療の間は付き添いだけでなく、食事も作ってくれていました。どれだけ感謝しても足りません。そのうえで、やはり夫婦で支え合って病を乗り越える姿はいいなと思っていました。大きな病はやっぱり心細いのです。ママにも「誰もいないよ、私のこと好きになる人なんて。みんな逃げちゃうに決まってる」って、どうしても愚痴ってしまって。
実はよっちゃんも3年前、大きな病気を経験しています。糖尿病10年で血管がぼろぼろになり、脳梗塞を起こし、立て続けに脳出血を起こしたそうです。大きな病気を経験した人同士だからこそ通じ合えることって、やっぱりあるんです。たとえば私が闘病公表時から言っている「『大丈夫だよ』『治るよ』なんて、軽々しく口にしないでほしい」という話も、よっちゃんはあれこれ説明する前に「ほんとだよね」と共感してくれました。また、私もよっちゃんの「このまま孤独死しかねないなと感じた」不安感、できれば結婚したいと新しい出会いを探した気持ちをスムーズに理解できました。
そのうえでよっちゃんは、「もし結婚したいと考えているなら、先に結婚してあとからいろいろなことを知っていけばいいんじゃないのってシンプルに思うんだよね。まず3年おつきあいしてみたいなことじゃなくても。だって、そのほうがわくわくするし、楽しいことがたくさんあるでしょ」と言うのです。
長くつきあえばうまくいく、というわけでもないことを私たちは知っている
わずか10日での電撃婚、大丈夫なの?とも聞かれます。でも、10年つきあっていざ結婚したらうまくいかなくなるカップルもざらにいます。相性って、過ごした時間だけが保証してくれるわけではないと感じます。
私は病気になる前からどこかで「みんな逃げちゃうに決まってる」という気持ちを持っていました。でも、そんな弱気なメンタルを一瞬でひっくり返してくれる人と、天文学的な確率で出会うことができた。この手を取らないならば、この先誰のどの手を取るというの?
よっちゃんという人は、やっとやっと現れた、梅宮アンナを理解してくれる人なのだと思います。私がどんな人なのか、すぐに見抜かれました。嘘なんかついたらすぐにバレだろうけれど、それは私も同じかもしれない。なぜなら、年を経た私には、嘘は違和感みたいに引っかかって感じ取れるようになったから。
よっちゃんはとってもよくしゃべる人なのですが、正直者なので話に違和感がまったくなく、聞いていてずっと気分がいいんです。そう、やっと正直者が現れてくれた! こんな人とずっといられたら、きっとずっと楽しいって、私は出会ったその日に思いました。私の父母、梅宮辰夫とクラウディアさんもはじめて会った瞬間にスパークしたと聞いていますから、同じですね。ずっとずっと仲良しの夫婦でした。
いま私たちはまだお互い暮らしをそのまま維持しています。いずれは一緒に暮らしますが、それぞれの家に帰っても心はつながっていると感じます。結婚パーティーもしようねって言っているので、明日はゼクシィを買って最近の若い子たちはどんなドレスを選ぶのかチェックしようと思っています。
結婚だなんて、あまりに突然のことで、こうして最後まで読んでいただいても「大丈夫なの?梅宮アンナ」と思うでしょう。正直、私もどこかで思います。
ですが、明日の、来年の、10年後の私に何が起きるかは誰にもわからない。1年前の今頃、私はこんな病気のことなんて全然予感もしていませんでした。私たちふたりが本当に大丈夫なのかどうかは30年、40年後までわかりませんが、少なくとも私は「自分の手で大丈夫にしていきたい」と思っています。どうぞ新しい門出を切った私たちに、暖かなご声援をお願いいたします。
2025年5月28日 梅宮アンナ
つづき>>>>独白、世継恭規さんが語る「僕が見た梅宮アンナという女性の本質」