「食べ方ひとつで、こんなにも夫婦関係が変わってしまうなんて思いもしなかった」
静かな部屋で、うつむきがちにそう語ってくれたのは、今回取材に応じてくださったヨシヒサさん(42歳)。結婚5年目を迎える同い年の奥さまと暮らしています。
ヨシヒサさんは、自身が“クチャラー”であることを長く自覚せずに生きてきました。しかしその何気ない食事のクセが、夫婦の間に深刻な亀裂を生み、ついには「離婚」の二文字が現実味を帯びる事態にまで発展してしまったといいます。
夫婦間のトラブルといえば、金銭感覚や価値観の違い、セックスレスなどがよく語られますが、近年では「食事マナー」をきっかけにした対立も増えてきました。特にSNSでも嫌悪の対象となりやすいのが「クチャラー」。噛むときの音が大きい、咀嚼音が漏れる……そんなクセに強い嫌悪感を抱く人は少なくありません。
ところが、当の本人は無自覚であることも多いのです。ヨシヒサさんもその一人。「自分がクチャラーだなんて、言われるまでまったく気づきませんでした」と語ります。そこから奥様との間で衝突が起こるようになり、離婚の危機さえ感じるようになってしまったのです。
今回は、筆者・山下あつおみがヨシヒサさんに直接お話を伺い、食事マナーが夫婦関係に与える影響と、それを乗り越えるために彼が何を考え、どう行動しているのかを深掘りしました。
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※写真はイメージです
「クチャラー」と指摘されるまで……。最初の衝撃と気づき
――今日はお時間いただきありがとうございます。さっそくですが、ヨシヒサさんが初めて「クチャラー」という言葉と向き合ったのは、どんな経緯だったのでしょうか?
「取材に応じるのは正直迷いましたが、同じような悩みを抱えている人の参考になればと思って、お話しさせていただくことにしました。僕が『クチャラー』と指摘されたのは、実は結婚してしばらく経ってからのことなんです。もちろん、それまでも妻から『もう少し静かに食べてほしい』『音が気になる』といったことは言われていました。でも、当初はただの小言くらいにしか受け止めていなかった。
そんなある日、妻がすごく真剣な顔で『一緒に食事するのがつらい』って言ってきたんです。その言葉があまりにも重くて……そこから自分でも調べたり、食べる姿を動画で撮ってみたりしました。ああ、これが妻の言っていたことか、とようやく理解できたのが最初ですね」
――そのときは、どんなお気持ちでしたか?
「衝撃でしたね。自分にとっては当たり前だった食べ方が、こんなに嫌われるものだったんだ、と。実際、これまでも注意は受けていましたが、『もう大人だし、今さら食べ方までとやかく言われたくない』というプライドみたいなものがあったんです。でも、妻が本気で悩んでいるのを見て、『これは思っていた以上に大きな問題なのかもしれない』と考えるようになりました」
――「クチャラー」という言葉、少し前まではネットスラングのような扱いでしたが、最近は一般的に定着してきましたよね。咀嚼音が苦手な人も増えています。ヨシヒサさんは、子どもの頃に家族から注意を受けたことはありませんでしたか?
「全くなかったですね。そもそも、実家はあまり食事マナーに厳しくない家庭でした。テレビをつけながらみんなでワイワイ食べるのが当たり前だったので、口を閉じて噛んでいるかどうかなんて、気にされた記憶もありません。だから、自分が音を立てて食べていたという自覚も全然なかったんです」
食卓が“冷戦状態”に…。咀嚼音がもたらした夫婦関係の変化
――そこから、奥さまとの食卓にどんな変化があったのでしょうか?
「最初の頃は、妻もまだ優しくて、『こうしたほうがいいんじゃない?』と諭すように注意してくれていました。でも、僕のほうが意識しきれなくて、また同じように食べてしまうんです。注意された直後だけは少し気をつけるんですが、気づいたらまた元通り。『ごめん、ごめん』と謝りながらも、次の食事ではもう忘れている。そんな繰り返しでした。
あるときから、妻の表情がどんどん険しくなっていくのが分かってきて……。つい、投げやりな気持ちで『そんなに嫌なら、もう別々に食べようか』と言ってしまったんです。その結果、一時期は本当に同じテーブルにつかなくなりました」
――夫婦で食事を別々にとるというのは、かなり深刻な状態ですね。その後、関係はさらに悪化していったのですか?
「はい、実感として、あれは大きな分岐点でした。食卓を共にできないって、想像以上に夫婦のコミュニケーションを奪うんです。『いただきます』とか『美味しいね』みたいなちょっとした会話や笑いがなくなると、日常がどんどん冷えていく。
最初は『まあ、しばらく距離を取ればいいか』くらいに思っていたんですが、そうしているうちに、夫婦間の会話がほとんどゼロという日が続くようになってしまって……。
そのときに、ようやくはっきりと危機感を持ちました。『このままじゃ本当に終わってしまう。クチャラーをどうにかしないと、いずれ妻との関係が破綻する』と初めて本気で思いましたね」
自覚のなさが生んだ“壁”と、習慣を変える難しさ
――ヨシヒサさんご自身は、「食べ方の音が大きい」と指摘されたあと、どんな対策を試されたのでしょうか?
「まずは“自覚”することから始めました。自分の食べ方を録音して、スマホのボイスレコーダーで再生してみたんです。最初は正直、恥ずかしさもありました。でも聴き返すと、確かに『クチャクチャ』と音が漏れている。それを客観的に聞いたときに、ようやく『ああ、これが妻の言っていたことか』と理解できました。
そこからは、意識して口を閉じて噛むトレーニングを始めました。ただ、実際にやってみると結構難しいんです。唇を閉じて食べるのが息苦しかったり、リズムが狂ったりして……特に会話しながらの食事や、急いでいるときはまったく意識が追いつかない。それでまた元に戻ってしまう。そんな日々でした」
――咀嚼音の問題って、言ってしまえば「口を閉じて食べる」だけの話に思えますが、長年の習慣ってそう簡単には変えられませんよね。一口の量や、噛むスピードも影響しませんか?
「その通りです。僕、もともと早食いだったんです。一口で頬張る量も多かったと、あとになって気づきました。それを変えるとなると、ストレスが大きいんですよね。『ゆっくり噛まなきゃ』と考えると食事が楽しくなくなるし、妻との会話にも集中できない。
そうしてるうちに、だんだん『なんで俺ばっかり頑張らなきゃいけないんだ』っていう気持ちが出てきてしまって……。もちろん、問題の原因は自分にあるのはわかってるんです。でもどこかで『ちょっと大げさじゃないか?』と感じてしまう。そういう気持ちがまた、夫婦の関係をこじらせてしまったんだと思います」
――「自分ばかりが頑張っている」という不満は、どんな夫婦関係でも起こりがちです。それでもヨシヒサさんは、そこを乗り越えて努力されたんですね。どうやって、その気持ちを切り替えたんですか?
「もう、慣れるまでには時間がかかると腹をくくりました。子どもの頃から身についたクセを大人になってから直すって、本当に大変ですよね。でも食事って毎日のことだから、練習のチャンスは山ほどあるんですよ。
だから“いかに継続するか”を最優先にしました。たとえば『また音出しちゃった、ごめん』と気づくだけでもOK。それで次の一口から気をつければいい。それを積み重ねるしかないなって。そう思ってからは、食事中だけは『今は実験中なんだ』と意識して、エクササイズ感覚で取り組むようになりました」
ついに離婚の危機。「クチャラー」はただの癖じゃなかった
――そこまで努力しても、奥さまとの関係はなかなか回復しなかったのですか?
「はい。僕としては『やってるつもり』だったんですが、それがうまく伝わらないんですよね。気をつけているつもりでも、つい口調がぶっきらぼうになったり、妻の言葉にイライラしてしまったりして……。結果として、妻のストレスはさらに増してしまったと思います。
改めて振り返ると、食事中の音の問題って単に『マナー』の話じゃないんですよね。夫婦のコミュニケーションの質や信頼感が、如実に現れる場だったんだと気づきました」
――2人暮らしだと、お互いに逃げ場もないですからね。
「本当にそうです。食卓は、夫婦で一日を分かち合う大事な時間のはずなのに、そこがギスギスした空気になると、自然と会話もなくなってしまうんです。何か言われたときに僕が『わかってるよ、気をつけるって』とふてくされてしまうと、妻もまた言葉を飲み込むようになっていく。
そうしてお互いに話さなくなる。最終的には、妻から『もう限界。別居か、離婚も考えている』と切り出されて……。正直、当時は『まさかそこまで!?』と信じられなかったです。でも今振り返ると、妻にとっては本当に深刻な問題だったんですよね」
――ヨシヒサさんの中には「クチャラーが原因で離婚なんて…」という感覚があった?
「まさにその通りで、最初は『たかが食べ方で?』と思ってました。食べ方のクセがそこまで致命的なこととは思っていなかったんです。でも少しずつ、『これはただのマナーの話じゃない』って気づき始めた。
たとえば、僕は注意されても『はいはい、気をつけるよ』って口先だけで流していた。でもそれって、妻からすれば『私の話をまともに聞いてない』っていう不信感につながりますよね。だから、“食べ方”の奥には、“妻の気持ちをちゃんと受け止めていない僕の態度”があったんだと思います」
――「クチャラー問題」は単に音の問題ではなく、思いやりや尊重が試されるテーマなんですね。気づいてから、どんな行動をとったのですか?
「まず、『言うだけで終わらせない』と決めました。これまでみたいに、注意されて『わかった』と口では言いながら、結局また元通り……というのをやめたかったんです。
具体的には、前に話した録音や食べ方の訓練に加えて、食事中に静かな音楽を流したり、テレビをつけないようにしたり、食事に集中できる環境を整えました。一口の量も意識して減らしましたね。
それから、どうしても時間がないときは無理に一緒に食べず、先に軽く済ませるなどして、妻のストレスを減らす工夫も始めました。小さなことだけど、『ちゃんと配慮している』という気持ちが少しでも伝わればと思って」
本編では、ヨシヒサさんが「クチャラー」であることを妻に指摘され、食事中のマナーを見直すまでの葛藤についてお伝えしました。
▶▶“たかが咀嚼音”で夜も拒否され、レス、離婚寸前……。そんな夫がふと気づいた“本当の問題”とは
では、夫婦の心の距離をどうやって埋め直したのか、そして“クチャラー克服”のために実践した日常の工夫についてお届けします。