モラハラ父からの「最期の暴力」。遺言書に記された罵詈雑言に打ちのめされ、私は崩れていった | NewsCafe

モラハラ父からの「最期の暴力」。遺言書に記された罵詈雑言に打ちのめされ、私は崩れていった

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
モラハラ父からの「最期の暴力」。遺言書に記された罵詈雑言に打ちのめされ、私は崩れていった
モラハラ父からの「最期の暴力」。遺言書に記された罵詈雑言に打ちのめされ、私は崩れていった 全 1 枚 拡大写真
  

モラハラ・夫婦問題カウンセラーの麻野祐香です。

子ども時代にモラハラの父親から深く傷つけられ、「絶対にあんな人とは結婚しない」と誓っていたにもかかわらず、選んだ相手はまた別の「支配者」だった……そんなケースは珍しくありません。

「最初はとても優しく、よく話を聞いてくれていた夫。でもそれは、彼が得意とする『演技』だったのです」

今回は、自分の子どもが、同じように父親から傷つけられるのを避けるため、離婚を決意したR子さんのお話をお伝えします。

父親のモラハラを見て育った幼少期

R子さんは幼い頃から、父親の機嫌に振り回される毎日を送っていました。父はいつも母を怒鳴りつけ、不機嫌になると姉妹にも突然怒りをぶつけます。

「生意気な口をきくな」
「誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ」

父の怒りに理屈はありません。目の前で食器が飛び、家具が倒れる。母が泣きながら謝り、子どもたちは黙り込む。そんな日常が、当たり前のように続いていました。

父に何かを話しかけても、返ってくるのは否定か命令だけです。

「そんなことも分からないのか」
「お前には無理だ」
「女のくせに」

自分の意見を持つことは、父への反抗だと思われました。R子さんは、いつしか自分の考えや気持ちを口に出すことを諦めていました。

家庭の中の真実を隠し続けた母

母は父の暴力や暴言に耐えながら、外では「普通の家庭」を演じていました。ご近所にはニコニコと笑顔を見せ、子どもたちには「お父さんは昔の人だから」と、いつも父の肩を持つのです。

R子さんはそんな母が可哀想で、誰かに助けを求めたいと思っていました。でも母はこう言い続けました。

「家の問題を外に話すのは恥になる」

この言葉が呪縛となり、誰にも相談できないまま、R子さんは孤独な気持ちを抱え続けました。

家庭の中でも安心できず、外でも本当のことを話せない。「私は何があっても、誰にも助けてもらえない」と諦め、自分の感情を押し殺して生きる癖がついてしまったのです。

幼少期から身についたこの“諦め”や“我慢”の感情は、大人になってからの人間関係に深い影響を与えます。

家を出て手にした自由と、その先に残ったもの

「早くこの家から出たい」

ずっとそう思い続けていたR子さんは、高校を卒業すると同時に家を出て、一人暮らしを始めました。

本当は大学に進学したかったのですが、「女に学問はいらない」という父の言葉が頭にこびりつき、進学したいとは言い出せなかったのです。

それでも父親から離れ、自由を手に入れたことで、R子さんは初めて心の底からホッとする日々を過ごしました。

しかし、心の中には父に対する怒りとも寂しさともつかない、空虚な感情だけがぽっかりと残っていました。

長年にわたり、家庭の中で常に緊張を強いられてきたR子さんにとって、「誰かを怒らせないように生きる」ことは当たり前のことでした。そのため、いざ自由な環境を手に入れると、かえって戸惑いばかりが生じてしまったのです。

これは心理学で「慢性的なストレス下から解放されたときに起こる感情の空白」と呼ばれており、虐待やモラハラを経験した人に多く見られる反応です。

また、モラハラ家庭で育った子どもは、「これは自分の問題」「これは相手の問題」と心の中でうまく区別することが難しくなります。そのため、大人になっても相手の気分に振り回され、自分の気持ちをいつも後回しにしてしまうのです。

さらに、幼少期から自分の感情を言葉にする経験がほとんどないため、「自分は今、怒っているのか、悲しいのかさえ分からない」という状態になってしまいます。こうした「言葉にならない感情」を抱えたまま、大人になったR子さんは、社会の中で居場所を作りながら、なんとか生活を立て直していきました。

そんな中、母が病で亡くなりました。悲しみに暮れるなか葬儀の準備のため実家に帰省すると、父が突然、「一緒に暮らしてほしい」「今まで育ててやっただろ」と言い出したのです。

父の支配からようやく逃れ、自分の人生を立て直している最中のR子さんにとって、父との同居はあり得ないことでした。ところが父は、ある時は感情的に泣きすがり、ある時は怒鳴りつけてきました。その様子は、まさに昔のままでした。

親を捨てるのか!

「親を見捨てるなんて冷たい奴だ」

そんな父の言葉に、R子さんは強い罪悪感を感じました。モラハラ加害者は、相手に罪悪感を持たせることがとても得意です。自分を被害者のように見せ、相手を「悪者」に仕立てあげるのです。

父の言葉に揺らぎましたが、R子さんは地域の福祉サービスに相談し、地域包括支援センターに父のサポートをお願いしました。そのうえで自分の家に戻ったのです。

父との距離を取ったものの、その後も父の怒りは続きました。電話がかかってくるたびに、「親不孝もの」と怒鳴られる日々が続いたのです。

そのような状態が続いたのち、母が亡くなってから2年後に、父も亡くなりました。実家の片付けをしているとき、R子さんは父が遺した遺言書を見つけます。その遺言書には、R子さんへの罵詈雑言が書き連ねられていました。

「最後まで、父は私を恨んでいたのだろう」

その遺言書を目にして以来、「実家に戻らなかった自分は親不孝だった」「仕事を捨ててでも戻るべきだった」と自分を責め続けるようになり、R子さんはノイローゼになってしまいました。

本編では、モラハラ父のもとで育ったR子さんが、大人になっても心の傷を抱え、自分を責め続けてしまう苦しい日々についてお伝えしました。

▶▶優しかった彼も、結婚したらモラハラに。「この子の人生まで壊されてしまう」娘が夫に怯える姿を見て、私が離婚を決意した日
では、夫との関係に悩みながらも自分の子どもを守るためにR子さんが起こした行動についてお届けします。


《OTONA SALONE》

アクセスランキング

  1. 「DASH造船計画」再始動 リーダー城島茂「途中で諦めたくない」

    「DASH造船計画」再始動 リーダー城島茂「途中で諦めたくない」

  2. 強引に部屋に連れ込まれて、抱きしめられて…社長! いったいどういうことですか!?【社長の溺愛に逆らえない #3】

    強引に部屋に連れ込まれて、抱きしめられて…社長! いったいどういうことですか!?【社長の溺愛に逆らえない #3】

  3. 最上もが、舞台降板発表「どうしても十分な準備期間を確保することができず」8月6日から上演予定

    最上もが、舞台降板発表「どうしても十分な準備期間を確保することができず」8月6日から上演予定

  4. 松下洸平、結婚を発表「感謝の気持ちを忘れることなく」【全文】

    松下洸平、結婚を発表「感謝の気持ちを忘れることなく」【全文】

  5. 真木よう子、第2子妊娠発表「高齢出産になりますので」

    真木よう子、第2子妊娠発表「高齢出産になりますので」

ランキングをもっと見る