モラハラ・夫婦問題カウンセラーの麻野祐香です。
子ども時代にモラハラの父親から深く傷つけられ、「絶対にあんな人とは結婚しない」と誓っていたにもかかわらず、選んだ相手はまた別の「支配者」だった……そんなケースは珍しくありません。
「最初はとても優しく、よく話を聞いてくれていた夫。でもそれは、彼が得意とする『演技』だったのです」
今回は、自分の子どもが、同じように父親から傷つけられるのを避けるため、離婚を決意したR子さんのお話をお伝えします。
父親のモラハラを見て育った幼少期
R子さんは幼い頃から、父親の機嫌に振り回される毎日を送っていました。父はいつも母を怒鳴りつけ、不機嫌になると姉妹にも突然怒りをぶつけます。
「生意気な口をきくな」
「誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ」
父の怒りに理屈はありません。目の前で食器が飛び、家具が倒れる。母が泣きながら謝り、子どもたちは黙り込む。そんな日常が、当たり前のように続いていました。
父に何かを話しかけても、返ってくるのは否定か命令だけです。
「そんなことも分からないのか」
「お前には無理だ」
「女のくせに」
自分の意見を持つことは、父への反抗だと思われました。R子さんは、いつしか自分の考えや気持ちを口に出すことを諦めていました。
家庭の中の真実を隠し続けた母
母は父の暴力や暴言に耐えながら、外では「普通の家庭」を演じていました。ご近所にはニコニコと笑顔を見せ、子どもたちには「お父さんは昔の人だから」と、いつも父の肩を持つのです。
R子さんはそんな母が可哀想で、誰かに助けを求めたいと思っていました。でも母はこう言い続けました。
「家の問題を外に話すのは恥になる」
この言葉が呪縛となり、誰にも相談できないまま、R子さんは孤独な気持ちを抱え続けました。
家庭の中でも安心できず、外でも本当のことを話せない。「私は何があっても、誰にも助けてもらえない」と諦め、自分の感情を押し殺して生きる癖がついてしまったのです。
幼少期から身についたこの“諦め”や“我慢”の感情は、大人になってからの人間関係に深い影響を与えます。
家を出て手にした自由と、その先に残ったもの
「早くこの家から出たい」
ずっとそう思い続けていたR子さんは、高校を卒業すると同時に家を出て、一人暮らしを始めました。
本当は大学に進学したかったのですが、「女に学問はいらない」という父の言葉が頭にこびりつき、進学したいとは言い出せなかったのです。
それでも父親から離れ、自由を手に入れたことで、R子さんは初めて心の底からホッとする日々を過ごしました。
しかし、心の中には父に対する怒りとも寂しさともつかない、空虚な感情だけがぽっかりと残っていました。
長年にわたり、家庭の中で常に緊張を強いられてきたR子さんにとって、「誰かを怒らせないように生きる」ことは当たり前のことでした。そのため、いざ自由な環境を手に入れると、かえって戸惑いばかりが生じてしまったのです。
これは心理学で「慢性的なストレス下から解放されたときに起こる感情の空白」と呼ばれており、虐待やモラハラを経験した人に多く見られる反応です。