アンミカ、家が2度火事に・小学生から7年新聞配達…壮絶過去振り返り涙
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【写真】アンミカ「ぽっちゃりさんでした」幼少期ショット
◆アンミカ「この時期は辛かった」壮絶人生」
5人きょうだいの真ん中として育ったアンミカは、幼少期に極貧生活を経験。家を間借りして押し入れを2段ベッド代わりにして寝たり、小学生の頃から高校生になるまで7年もの間、新聞配達をして家計を支えたりしていたと語った。また、5歳の頃には階段から落ち、内出血で歯茎が黒くなるほどの怪我を負う。追い打ちをかけるように7歳のときには1年間で2度、家が火事に遭い、アンミカを支えた最愛の母もがんを患うなど壮絶だった人生を振り返った。
火事になった当時についてアンミカは「両親が唯一持っている宝石と一張羅を持って結婚式に行っていて、紅白まんじゅうを持って帰ってきて。みんなで焼き焦げた家を見て泣いて、だけどお母さんとお父さんは『これからのこと考えよう』って、パンっと『切り替えや』って」と両親が結婚式に参列していた最中の出来事だったことを述懐。その後、きょうだいは親戚の家に預けられ、別々の場所で過ごしたそうで「この時期は辛かった」と伝えた。
◆アンミカ“唯一”楯突いた相手
続けてアンミカは「貧しいのは良かったけど不運に耐えられなかったですね。『なんでこんなに大事なものを奪っていくんだろう』っていうのが辛くて、教会の神父様にすごい楯突いて『神様なんかこの世におるわけない。おったら、こんないい人たちに病気とか火事とか頑張った人に(不運を)与えるわけない」と神父に怒りをぶつけたことを回顧。また「私は反抗期がなかったですけど、唯一楯突いたのはこのときだけですね」とそれが唯一の反抗であったことを涙ながらに話した。
神父はアンミカに対し「起こる出来事は全部信頼して生きなさい。神様は乗り越えられない人に苦労は与えないし、小さい頃の苦労は全部プレゼント。あなたが乗り越えたときに沢山の人に寄り添える。それが優しさや強さになる」と返答したそうで、その言葉に救われたと語っていた。(modelpress編集部)
情報:日本テレビ
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