
10月に東京タワーや都庁、みなとみらいの観覧車などの観光施設がピンク色にライトアップされていたことを覚えていますか?これは「ピンクリボン月間」という乳がんの怖さを認識してもらうためのキャンペーンです。毎年の恒例イベントとして、すっかり定着していますね。
日本人の死因の一位は「がん」だということは今さら言うまでもありません。厚生労働省の人口動態統計(2024年)によると全人口における悪性新生物(がん)の割合は24%に達します。
「これは高齢者に限った話で、まだ40代で働き盛り。思春期の子どもを抱え、持ち家の住宅ローンを返済している“現役世代”の自分たちには関係ない」と、聞き流すのは危険です。前述の統計によると40代の後半(45~49歳)の場合も、死因の一位はやはり悪性新生物です。そのことに変わりはないのですが、違うのは死因に占める割合です。40代の後半の場合は、なんと32%。がんで死亡する割合は、全人口で見た場合よりも上回っているのです。
特に注意しなければならないのは女性の「乳がん」です。国立がん研究センターの全国がん罹患データ(2021年)によると、45~49歳の女性(0.2%)で乳がんにかかる人は35~39歳(0.07%)の約3倍に急増するのです。
なお、厚生労働省の人口動態統計(2024年)によると2024年、乳がんで亡くなった人の数は16,005人。1年前(2023年は15,763人)に比べ増加しています。
ある日突然、がん患者になるという絶望は日常と隣り合わせだと思っておいたはうがいいでしょう。
筆者は行政書士、ファイナンシャルプランナーとして夫婦の悩み相談にのっていますが、今回の相談者・莉子さんは48歳。突然、乳がんを告知され、「治療のしようがない」と診断され、残された家族(主に16歳の息子さん)のことを心配せずにいられない一人です。こんな危機的な状況にもかかわらず、夫婦の間に「離婚」の話が持ち上がったのです。何があったのでしょうか?
なお、本人が特定されないように実例から大幅に変更しています。また夫婦や子どもの年齢、夫の自己中エピソード、乳がん検診を受けなかった経緯や末期がんの症状、遺言の内容などは各々のケースで異なるのであくまで参考程度に考えてください。
<登場人物(相談時点。名前は仮>
夫:山下智樹(48歳。会社員。年収800万円)
妻:山下莉子(48歳。専業主婦)☆今回の相談者
長男:山下智弘(16歳。智樹と莉子の長男)
妻の母:宮本節子(76歳。年金生活)
【行政書士がみた、夫婦問題と危機管理 #15】
車椅子の48歳女性、骨折以外に見つかったものは…
「娘と一緒に相談しに行きたいんですが…」。それが今回の相談の第一声でした。電話口の声は60~70歳とおぼしき女性。そして当日。事務所の入り口に車椅子の姿で現れたのですが、筆者の想像とは逆の姿でした。筆者は年老いた母が車椅子に座り、娘が車椅子を押すのだろうと思い込んでいましたが、実際に車椅子に座っていたのは娘。車椅子を押しているのが電話くれた母だったので驚きました。
娘の莉子さんは「すみません。玄関で転んじゃって」と恥ずかしそうに言いました。莉子さんいわく、耐え難い強い痛みに襲われ、立ち上がることすらままならず、ポケットに入れていたスマホで救急車を呼び、そのまま運ばれていったそうなのです。そして病院で検査をしたところ、右大腿骨転子部骨折と診断され、全治5カだと言われたのです。
「また歩けるようにリハビリを頑張らなくちゃ!」と気丈に振る舞いますが、まだ48歳です。自宅で転倒して骨折するには、まだ若すぎます。そのため、担当医におかしいと思われたのでしょう。骨折以外の精密検査を行ったところ、今度は「末期がん」だと診断されたのです。
莉子さんの場合、最初に発症したのは乳がんでしたが、何もしないまま放置していたため、肺や肝臓などに広がり、最終的には骨まで転移していたとのこと。骨がかなりもろくになっていたため、ちょっとした段差でつまずき、転倒し骨折してしまったのです。
二人が事務所にやってきたのは4月ですが、担当医の見立てによると「もって年内まで。もっと早く何があってもおかしくない」とのこと。足や腰のリハビリどころではなく、緩和ケアを勧められるほど深刻な病状だったのです。莉子さんは入院中でしたが、担当医の許可をとって一時退院。その足で事務所を訪れてくれたのです。
4年前に違和感は感じたものの…
筆者が「もっと早く発見することはできなかったのですか?」と尋ねると、莉子さんは「一番はじめにおかしいと思ったのは4年前です。テレビを見ていたのですが…」と答えます。
その番組は5人の専門医が登壇し、がんの種類別に早期発見する方法を紹介する内容。そこで乳がんの専門医が「胸にしこりがあると、それはがんの可能性がある」と指摘したため、莉子さんは試しに確認したところ、小さなしこりを見つけたそう。
そこで夫に「まさかとは思うけど、一応受診しようかな。主婦検診っていうのもあるみたいだし」と話したところ、「そんなのは気のせいだろう、いちいちうるさいな!」と一喝。確かに、生理前に胸が固くなることがあったので、そのときはホルモンの影響が原因で「やっぱり、考えすぎかな」と深刻に考えなかったそうです。
ところで日本乳癌検診学会の調べによると、乳がん検診を受診した人は246万人、そのうちで精密検査が必要になったのは3.9%、乳がんだと診断されたのは0.3%でした。診断された人のうち、76%は早期の乳がんでした(2021年の検診分)。
結局、莉子さんは最初から最後まで一度も乳がん検診を受けることはありませんでした。
やっぱり、この不調は「気のせい」じゃないかも
次におかしいと思ったのは2年前。食べ物を飲み込むと苦しいので食事をやめてしまうことが増えたそう。そのせいで半年前と比べ、6キロも体重が減ったそうなのですが、「年のせいかな」と気に留めないようにしていたそう。
しかし、お腹が苦しいのは相変わらず。さらに胸や喉が焼けるような痛みを感じるようになり、ただただ我慢するだけで精一杯でした。いつも莉子さんが食後に食器を洗うのですが、あまりの苦しさに夫に「今日は代わりにやってください。無理なら食洗器を買ってください」と頼んだところ、「甘えるな!」と一蹴。莉子さんは「主人は心配する素振りもありませんでした」と肩を落とします。
もちろん夫への愛情が完全に冷めていれば、夫の言うことを無視し、勝手に乳がん検診を受けたり、陽性の場合は自腹で治療をしたりすることもできたでしょう。しかし、莉子さんにとって夫はまだ「いない方がいい存在」ではありませんでした。そのため、夫からモラルハラスメントともとれることを言われようと、夫の許可が何をするにも必要だったのです。
このように考えると専業主婦というのは、あまりにも弱い立場です。もし妻が乳がんの治療をする場合、医療費を負担するのは夫。治療している期間、妻ができない家事や育児をするのは夫。そして家庭以外に居場所がないので、「がんかもしれない」と相談する相手も夫になるのです。
>がんを心配する妻に対して、検診も治療も受けさせない夫!?
夫が治療を受けさせてくれない!?
生命保険文化センター(2022年)の調べによると、民間のがん保険(がん特約付きの保険を含む)に加入している人は39%。10年前(2013年の37%)より増加していますが、特に40代の女性の加入率は50%。2人に1人はがん保険に加入しているのです。
筆者が「保険はどうなっていますか?」と質問すると、莉子さんは独身のときに入った生命保険だけです」と回答します。がん保険はもちろん、医療保険すら加入していませんでした。
全日本病院協会の調べによると、(2024年4~6月、急性期の場合)乳がんの治療にかかる医療費の平均ですが、ステージ0なら1回の入院につき67万円ですが、ステージ1は70万円、ステージ2は89万円とがんの進行とともに増加していき、ステージ4の場合は230万円にものぼるのです(2024年4~6月、急性期の場合)。
万が一、莉子さんの検査結果が陽性だった場合、夫に多額の医療費を出してもらわなければなりません。
筆者が「旦那さんはどのような性格ですか?」と聞くと莉子さんは大きなため息をつきます。すでに17年も連れ添っており、「ツーカー」で要件が伝わる、いわゆる「空気のような存在」。特に夫はプライドが高く、自分の思い通りでないと気が済まないタイプ。「少しでも反対されると『ふざけるな!』と逆ギレするんです」と莉子さんは振り返ります。
そのため、「がんかもしれない」「検診を受けたい」「治療をしたい」と莉子さんが懇願しても、夫がくだす判断はいつもその逆。「がんじゃない」「検診の必要はない」「治療にいくらかかると思っているんだ」と、ずっと天邪鬼な態度をとってきたのです。
結局、莉子さんは途中で気づく機会は何度もありながら、それをふいにしてしまい、最終的には手遅れになったのです。
深刻な状況で入院しても、変わらない夫
重度の骨折による入院。それは莉子さんだけでなく、夫にとっても青天の霹靂でした。さすがに緊急事態なので、亭主関白の夫も今回ばかりは親身になってくれる。莉子さんはそう期待していました。
アフラック生命保険の調査によると(2022年)、がん告知時の悩みでもっとも多いのは「生死にかんする不安」(34%)。そして「誰かに相談することについて、どのように感じたか」という質問に対して相談したいと思っても誰に相談していいか分からない(31%)、相談したいと思っても上手く話せずに抱え込んだ(30%)と回答しています(パーセントは「当てはまる」「やや当てはまる」の合計)。莉子さんの場合も、夫が「よき相談相手」になってくれれば良かったのですが……。
夫が莉子さんを見下すような態度をとったのは昨日今日にはじまったことではありません。今までずっとそうだったので、今日いきなり心を入れ替えるのは難しいでしょう。
「いつ戻ってくるんだ!」「今日のメシはどうするんだよ!」「そもそも俺の服はどこにしまってあるんだ」と、夫は自分の心配をするばかり。莉子さんを心配する素振りは、これっぽっちもなかったそうです。
こんな調子なので、16歳になる息子さんを夫に任せることはできませんでした。一時的に息子さんは莉子さんの実家で暮らすことになったそうです。
夫は自己中心的な態度をとり続け、病院に顔を出すことは一度もありませんでした。結局、入院申込書の「保証人」「身元引受人」の欄は母親に頼むしかなく、パジャマ等の入院セットを用意してくれたのも、担当医から病状の説明を受ける際に立ち会ってくれたのも母親でした。莉子さんは「母にはお世話になりっぱなしで…」と言います。
結局、末期がんの告知を受けたのは莉子さんと母親だけ。無関心な夫は「骨折のこと」しか知らないので、骨折が治り次第、帰ってくると信じていました。それなのに1ヵ月が経過し、2ヵ月が経過しても、退院する気配がありません。
業を煮やした夫は「お前、何やっているんだよ!今、どこにいるんだ!? 帰ってこないなら離婚だ、離婚!」と激昂したのです。
莉子さんが筆者に助けを求めてきたのはまさにこのとき。突然、夫から離婚の話が持ち上がったタイミングでした。
▶関連記事『「早く退院して家事をやれ!」乳がんの妻に、夫が離婚宣告。入院中でも親権をとって離婚には【行政書士が解説】』では、入院中の莉子さんが離婚手続きをどのようにすすめていったのかについて、行政書士、ファイナンシャルプランナーである露木幸彦さんにお伺いします。



