
50歳を迎えるころ、これまでの働き方や暮らし方を見つめ直し、「この先の人生をどう生きるか」を考えるようになる人も多いのではないでしょうか。
シリーズ「50歳から考えるこれからの仕事と暮らし」では、人生の折り返し地点から新たな一歩を踏み出した人たちの選択と、その先に広がる暮らしを取材します。
本編では、52歳で大学院に通うことを決めた大野直子さん(57歳)が仕事を辞め、さらに55歳でアメリカ留学を果たしたお話をお届けします。
◾️大野直子さん
東京都豊島区在住の57歳。62歳の夫、27歳と23歳の娘と4人暮らし

アメリカ留学中の大野直子さん
【50歳から考える これからの仕事と暮らし #3 前編】
社内プロジェクトの研究がきっかけで、大学院受験を決意
子どもの頃、親しんだ人も多い「公文式」。
その会社で29年間、教育に携わる仕事をしてきた直子さんは40代後半で経験した社内研究プロジェクトをきっかけに、52歳で大学院を受験しました。
「そもそも入試に受かるのだろうか?」「仕事をやめることになったら、収入がなくなる……」そんな不安もよぎりましたが、退職金の試算をしてみたら、「たとえ退職しても、何年間かはやっていける」そう考えました。
「横断型のプロジェクトで集めたデータ。せっかく苦労して集めたのだから、論文にまとめてみたい」その思いが勝っていました。
受験までの準備期間は4カ月。小論文のみの試験でしたので、レポートの書き方の入門書を読み、試験に臨みました。ちょうど次女が大学入試だったため、「私も大学院、受けるよ。お互いにがんばろうね」と声をかけましたが、「落ちるかもしれないな……」と、恥ずかしくて夫や他の家族には言えずじまいでした。そもそも受かるかどうかも分からない挑戦だけに、家族では次女だけ、会社ではプロジェクトメンバーや上司など必要最低限の人だけに伝え、ひそかに勉強を続けました。
52歳で大学院入学、そして退職
入学したのは昭和女子大学大学院。研究テーマは「小学生の英語キャンプの効果測定」。約1週間の英語キャンプ参加群と非参加群を比較し、リスニング力・リーディング力・学習意欲の変化を調べました。修士課程2年間で、中学・高校の英語教員免許も取得しました。
大学院の授業はZoomで受講でき、会社もリモートワークだったため、当初は両立することができました。しかし、コロナ禍が明けると、仕事と勉強の両立が難しくなり、54歳で「大学院を選ぼう」と退職を決断。大学院生1本の生活が始まりました。
大学院で研究を進めるうちに、長期の留学をしたことがなく、日本の英語教育しか知らない自分の限界を感じ始めた直子さん。博士課程1年目に「フルブライト奨学金(※)」への応募を思い立ちます。
「フルブライトは難しいと聞いていて、自分が選ばれるはずはない」と思っていましたが、「FLTA (Foreign Language Teaching Assistant)」という、生徒でありながら、先生として教えるプログラムを知り、挑戦しました。
※フルブライト奨学金: 日米の相互理解に貢献するリーダーを育成することを目的とした、日米両国政府の拠出金による給付型の奨学金。160ヵ国以上、40万人以上が参画し、日本人には米国の大学院における研究・学位取得の機会を提供する。所属機関・居住地・人権や信条に関係なく、応募者個人の資質に基づいた、一般公募の奨学金制度。高いTOEFL/IELTSスコアなど、厳しい受験条件がある。
「50代でも無理じゃなかった」。55歳でフルブライト留学

アメリカの留学生に浴衣を着せて記念撮影
そして、合格を果たします。
55歳でワイオミング州のコミュニティカレッジ「ノースウエストカレッジ」に日本語教師として、10カ月間、勤務しました。現場で教えるなかで、「日本人は恥ずかしがり屋だから語学が話せない」という思い込みは誤りだと気づきます。
「アメリカ人は堂々と話すイメージがありますが、知らない言語を学ぶときは、誰もが恥ずかしがるし、間違えれば自信をなくす。みんな同じです」
会社員時代は海外出張はあっても、「留学は50代には無理」と思っていた直子さん。しかし留学を実現させたことで「学ぶことに年齢は関係ない」と実感しました。授業には、生徒だけでなくカレッジの先生たちも聴講に訪れ、「学びに貪欲な姿勢がステキだ」としみじみ思ったといいます。こうして、一歩一歩、自分のやりたいことを形にしていきました。
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