最難関・灘中が国語で投じた一石…パレスチナの現代詩から読み解く、今求められる読解力
子育て・教育
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話題となっているのは、2日目に出題されたパレスチナの現代詩『おうちってなに?』(ムスアブ・アブートーハ/山口勲訳)と『おなまえ かいて』(ゼイナ・アッザーム/原口昇平訳)だ。
これらの詩は『現代詩手帖』2024年5月号(思潮社刊)での特集「パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く」の中に収められている。
未だ続くパレスチナ・ガザ地区の凄惨な状況を詩に託した現地の子供たちの言葉を、小学生たちが挑む入学試験という場で正面から取り上げた灘中学校の意図はどこにあるのだろうか。
灘の卒業生であり、現在は希学園首都圏で学園長を務める山崎信之亮氏(※崎はたつさき)は、日本最難関の灘中学校が、この詩の問題を通じてどのような力を見ようとしているのか、次のようにコメントを寄せてくれた。
詩の試験問題は「読解」ではなく「解読」です。評論・文芸に比べ、言葉を究極まで削りきった表現である詩の「余白」部分を、論理的かつ想像力豊かに紐解いていく力が求められています。
本年度の二編の詩ですが、A『おうちってなに?』では、「たった三文字の言葉ひとつでいま言ったことぜんぶ受け止められるの?」という息子の発言があります。たった三文字の言葉とは、つまり「おうち」です。
凄惨な戦禍の中で「おうち」という身近な日常の幸福を知らない息子。裕福な先進国である日本に生まれ、ささやかな幸せを所与のものとして「在り難さ」に気づけていないであろう我々、そして灘中の受験生に、平和は「当たり前」ではなく、戦争で容易に破壊されるものだ、しかも世界にはその苦しみに直面している同年代の少年少女がいるのだということを、痛烈に示します。
また、B『おなまえ かいて』においては、父親をすでに戦争で亡くしている少女が、切々と訴えます。「あたしはばんごうになりたくない/あたし かずじゃない おなまえがあるの」と。
子供への親からの初めての贈り物が「おなまえ」です。親からの愛情を受け、その「おなまえ」で生き続ける。そして、いつしか「なまえ」が「私そのもの」になる。それが私たちの尊厳です。
戦争は「人間」を「死体」に変え、犠牲者の数は「記号化」されます。しかし、私たちは記号ではない。たとえ爆撃で肉体が潰えてしまっても、尊厳ある「死者」になるのだ、と少女は誓うのです。
灘中の詩に一貫して通底するのは「人間らしさとは何か」という問い、そして求められるのは「高度な感受性と想像力」です。
地球上のどこかで、同世代の少年少女が悲惨な状況にある。平和な日常は、一瞬にして崩壊する可能性がある。それを想像し、感受する先に「学問(なんか)をしていられる有り難さ」があります。平和だからこそ、学問に没頭できるのです。
中学受験はともすればその「有り難さ」を離れ、まさに点数で記号化された存在に子供たちを追いやりがちですが、その状況にも一石を投じられているのかもしれません。
灘中学校・灘高等学校の海保雅一校長は、2025年5月にリセマムが実施したインタビューの中で、「中等教育の使命は、単に社会が求める人材を育成することではなく、民主的な社会の構成員として欠かせない思考力や判断力を備えた個を育てること」と語っている。
入試問題は、その学校の0時限目の授業とも称される。この問題にも、灘の揺るがない教育の柱が垣間見えると言えよう。
《編集部》


