
*TOP画像/寧々(浜辺美波) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』3話(1月18日放送)より(C)NHK
『豊臣兄弟!』(NHK総合ほか)ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は戦国時代における「結婚・出産」について見ていきましょう。
戦国時代の女性は10代前半で結婚 13歳で母になるケースも
『豊臣兄弟!』の2話ではとも(宮澤エマ)が小一郎(仲野太賀)に行き遅れ扱いされ、直(白石聖)は小一郎から「嫁入り話の一つや二つないんか」と言われていました。
というのも、当時は今よりもずっと早婚であったためです。例えば、武将の場合は10歳前後の年の差夫婦は珍しくなく、かつ女性は12歳頃に嫁入りするケースが多々ありました。現代でいうところの小学校高学年から中学1年生くらいの年齢で、誰かの妻になっていたのです。
例えば、豊臣秀吉は24歳で12歳のおねと結婚しました。また、前田利家の妻・まつについても12歳で21歳の利家のもとに嫁入りし、13歳のときに長女を生んだといわれています。
武士は早婚でしたが、深刻な事情がありました。戦国時代において武士は自分の命をいつ落とすか分からない状況にあったため、跡継ぎを早くにつくっておく必要があったのです。
なお、社会における上層部の家庭や武士の家では、結婚相手は親(主に父親)が見つけてくるものであり、本人同士にパートナーを選ぶ権利はありませんでした。
妊婦は武士の軍衣に触ってはいけない!?
平安時代や江戸時代において上層部の人たちにとって生まれてくる子どもは父親の出世のためにも、家の継承のためにも重要な存在であったのと同様、戦国時代においても子どもは家のために重要な存在でした。
子どもが生まれなければ養子を迎えるほど子孫が重視されていたため、妊娠・出産は切望されるものでした。一方で、出産に伴う出血はケガレとして忌み嫌われており、産婦や出産が不浄とみなされるなど、複雑な感情が交錯していました。
それゆえに、妊娠した女性は出陣する武士の衣服や武具・甲冑を触ってはいけないルールがあったほか、武士は産後30日以内の女性に近づいていけないというルールもありました。出産と出陣のタイミングによっては、妻と生まれてきたばかりの我が子と思うように会えないまま、戦地に向かっていたのです。当時の人たちの胸の内を思うと切なさを感じます。
ちなみに、百姓よりも武士の方が出産に対するケガレ意識が強い人が多かったといわれています。
戦国時代の過酷な出産事情とは?
出産のスタイルも戦国時代と現代では大きく異なります。現代であれば産婦は分娩台の上で仰向けになり、足を大きく開いた状態で子どもを産むスタイルが一般的ですが、戦国時代においては産婦は産婆に抱えられながら、座った状態で子どもを産むのが一般的でした。子どもが出てきたら、産婆が竹ベラのようなものでへその緒を切っていました。
戦国時代は自宅で子どもを産んでいましたが、日常生活を送る住居で子を産むわけではありません。生活空間から少し離れた場所にある産屋で、子どもを産んでいました。前述したように、出産はケガレと結びついていたため、日常の住まいで子どもを産むことは許されなかったのです。
本編では、戦国時代における結婚や出産の実情と、女性たちが背負っていた過酷な現実についてお伝えしました。
▶▶下剋上に魅せられた瞬間! 第3話で芽生えた小一郎の覚悟【NHK大河『豊臣兄弟!』3話】
では、第3話の物語を振り返りながら、小一郎が自らの運命と向き合い、「侍になる」覚悟を固めるまでの過程を見ていきます。
<参考資料>
川口素生『戦国時代なるほど事典』PHP研究所、2001年



