
*TOP画像/家康(松下洸平) 大河ドラマ『豊臣兄弟』5話(2月1日放送)より(C)NHK
『豊臣兄弟!』(NHK総合ほか)ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は戦国時代における「人質」について見ていきましょう。
人質として家族を差し出すのは当たり前の戦国時代
戦国時代、人質のやりとりをするのは珍しいことではありませんでした。徳川家康は8歳から20歳までの期間を人質として過ごしていますし、この後説明するように豊臣秀吉も母やきょうだいを人質として差し出しています。
人質とは約束を破らないことの保証として差し出すものであり、差し出す側にとって大切な存在でなければ、その担保としての意味を果たせません。家来や地位の低い家臣を差し出しても説得力が乏しく、実母、娘、きょうだいなど痛手となる身内を人質に出すことが多かったのです。
人質の暮らしと聞くと、牢屋に閉じ込められ、最低限の食事と粗末な衣類しか与えられない……そんな厳しいイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。実際は、城内で比較的自由に過ごせたり、正室や側室としての地位を与えられたりと、手厚い待遇を受けたケースが少なくありませんでした。
約束を破れば、残虐な方法で殺された人質
人質が痛い思いや惨めな思いをすることは約束が守られている限り基本的にありません。ただし、同盟関係が破れ、敵対関係になった場合、人質は返される場合もあれば、殺されることもありました。
人質を殺すことは処罰にとどまらず、相手への強烈な見せしめでもありました。このため、人質は残虐な方法で殺められることも珍しくなかったのです。
女性の人質を殺める場合、磔(はりつけ)という方法が採用されることが多くありました。死亡するまでの時間が長く、苦痛を長時間味わうという理由から、磔られた状態で穂先が錆びた槍で突かれるのが一般的だったそう……。槍を人質の口に入れ、奥深く差し込んだり、女性器や肛門を槍で突いたりすることもありました。
身分は高いが武将の身内も安心して暮らせない……秀吉は母と妹を家康に差し出した!?
織田信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康は天下を争います。秀吉は長久手(ながくて)の戦いで家康に負けると、実妹のあさひを夫と強引に離縁させ、家康の正室として差し出しました。これにより、家康に対する強力な人質・政略結婚の担保としたのです。
さらに、秀吉の母・なかは70歳前後の老体ながら、秀吉によって家康の上洛(じょうらく)を促すための人質として岡崎に送られました。さすがの家康も秀吉が実母を人質に出すとは信じられなかったよう……。家康側は“いくら秀吉であっても実の母を人質にはせんじゃろう。この女は偽物なのでは?”と疑いました。
周囲が疑いの目を向ける中、なかとあさひは岡崎城で再会を果たし、手を取り合いって涙を流しながら喜び合いました。この二人の姿を見た人たちはなかが本人であると確信したと言い伝えられています。
なかは人質として岡崎城で恐ろしい思いをしました。家康が秀吉のもとへ臣従の礼のため上洛している間、万が一に備え、なかの住居の周囲には薪が山積みにされ、火を放って焼き殺せる準備が整えられていました。
家康は何事もなく岡崎に戻ってきたため、なかは秀吉のもとに無事返されました。なかの勇気があったからこそ、秀吉と家康は和睦し、秀吉は家康を家臣にすることができたのです。
ちなみに、秀吉は“母を人質として送ります” “妹を人質にします”と言ったわけではありません。あさひは“縁談”、なかは“体調を崩したあさひの見舞い”というのが建前でした。
『豊臣兄弟!』では、なか(坂井真紀)は愛情深い母親として描かれていますが、史実においてもなかは母性あふれる献身的な女性でした。また、本作では、あさひ(倉沢杏菜)は末っ子らしく、天真爛漫な人物として描かれていますが、兄たちが出世する中で戦乱の世で翻弄されていきます。なかもあさひも藤吉郎と小一郎が出世するごとに住まいも着物も豪華になっていきますが、中村時代には想像していなかった苦悩を味わうことになるのです。
本編では、戦国時代における「人質」についてお届けしました。
▶▶下剋上に憧れる藤吉郎と踏みとどまる小一郎。嘘と覚悟のあいだで試される兄弟、第5話で描かれた「補佐役の真価」とは【NHK大河『豊臣兄弟!』5話】
では、下剋上に心を燃やす藤吉郎と、それを支えながらも冷静に現実を見据える小一郎の対照的な姿を通して、第5話の見どころを振り返ります。
<参考資料>
渡辺誠『<戦国時代の女たち>毅然たる女傑 おね・なか・龍子・ガラシャ』 学研プラス、2015年
川口素生『戦国時代なるほど事典』PHP研究所、2001年



