
先日閉幕したミラノ・コルティナ五輪。閉会式のNHK中継でSNSを大いにざわつかせたのが、ヤマザキマリさんの「不在」でした。
マンガ大賞を受賞し、映画化もされた『テルマエ・ロマエ』の作者としても知られるヤマザキマリさん。開会式では、イタリア文化への「深すぎる」知識を駆使した解説が大好評! 閉会式でも大いに期待されていたのでした。
ヤマザキマリさんは17歳で単身イタリアへ留学。画家として活動しながら極貧生活を送っていたそうです。出産を機に「このままではいけない」と一念発起。でもなぜ、「漫画」を描くことになったのでしょうか? 漫画化としての
※この記事は、2024年7月に放送された「最後の講義 漫画家・文筆家・画家ヤマザキマリ」(NHK)を書籍化した著書『』ヤマザキマリ著(
友人に強く推されて「漫画」を描くことにしたものの……漫画の描き方って?
子どもを育てるために、市井の人々がやるようなどんな仕事でもいいからやってみようと思うけれど、特異な暮らし方をしてきてしまったせいで、何をしたらいいのかがなかなか思い浮かばないんですよ、どんな仕事がいいか。
そんなとき、アカデミアの同級生が「マリは絵が描けて、創作文も書いていたから、その二つを合わせたら漫画になるんじゃない? 日本では漫画の需要は高いよ」とアドバイスしてくれました。彼はイタリア人のアニメオタクだったのですが、「きみは絶対漫画が描けるはず」と強く推すので、なんだか自分でも描けるような気になっていました。
とはいえ漫画など描いたことがありませんから、見本が必要です。母に頼んで日本から漫画本を送ってもらいました。
当時、芸大(東京藝術大学)や多摩美(多摩美術大学)を卒業してアカデミアに留学していた人たちが置いていった漫画もありましたが、その漫画はつげ義春さんや水木しげるさんといった独特な作家たちのもので、果たしてそれを売れ筋の漫画と捉えていいのかどうかわかりませんでした。
ただ、彼らの作品は漫画表現の自由を示すものであり、恋愛話や若い人にウケそうな内容でなくてもいいという勇気と思い切りを与えてくれました。とにかく油絵しか描いたことがないので、1枚描いては原稿用紙をイーゼルに置いて全体のバランスを確認したりしていました(笑)。
漫画雑誌の賞金を使ってなんとか日本に帰ったとき、銀行口座はまさかの「0円」
そして、その漫画を某出版社の少女漫画雑誌に送りました。なぜ少女漫画雑誌かというと、母に何でもいいから漫画を送ってと頼むと、漫画を知らない母なので、コンビニで目についた大和和紀さんが描かれた美しい表紙のものを、単純に健全そうだから、という理由で選んだようです。
その漫画雑誌の新人賞の公募に応募してみたわけです。そうしたら、たまたま青年誌から異動してきた編集者が私の作品を見つけてくれまして、なんとか努力賞をいただくことができました。
そのときに得た賞金の10万円で飛行機のチケットを買い、子どもを連れて日本に帰ってくることができました。そのときの私の銀行口座の所持金はゼロでした。
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>>>「自由な子ども」は、本当に幸せ?『テルマエ・ロマエ』作者 ヤマザキマリの過酷な子ども時代。「絵を描かないと、自分のコントロールがうまくいかなくなっていく」

■BOOK:『』ヤマザキマリ著 1,760
■著者:ヤマザキマリ
漫画家・文筆家・画家。日本女子大学 国際文化学部国際文化学科 特別招聘教授、東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』でマンガ大賞2010受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ受章。2024年『プリニウス』(とり・みきと共著)で第28回手塚治虫文化賞のマンガ大賞受賞。著書に『ヴィオラ母さん』『ムスコ物語』『歩きながら考える』『扉の向う側』『貧乏ピッツァ』など。現在、『続テルマエ・ロマエ』を集英社「少年ジャンプ+」で連載中。



