
モラハラ・夫婦問題カウンセラーの麻野祐香です。働く女性は、モラハラやDVをする夫から簡単に逃げられるのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。さまざまな事情から、支配的な配偶者との結婚生活を続けている方は少なくありません。オトナサローネ世代のモラハラ被害にフォーカスした本連載。今回は、モラハラ夫と三十年暮らし、子どもたちが巣立ったあと、夫婦二人だけの生活に息苦しさを感じるようになったTさんのお話です。
※本記事は、相談者様への敬意と守秘義務に十分配慮したうえで、モデルケースとして編集・再構成しお届けしています。特定の人物や事例を示すものではありません。
※写真はイメージです
「子どもたちのため」と30年のあいだ我慢してきたけれど
Tさんの夫は、子どもたちが家にいた頃から、気に入らないことがあると怒鳴り、家族を自分の機嫌に巻き込んでいました。何度も離婚が頭をよぎりましたが、「子どもたちのため」と自分に言い聞かせ、我慢を続けてきたのです。
「子どもたちが巣立った今、家にいるのは私たち夫婦と飼い犬だけになりました。夫が怒鳴る回数は以前より減りましたが、家の中が穏やかになったわけではありません。大声で怒鳴る代わりに、私の言葉を無視したり、不機嫌な態度をとり続けるようになったのです」
夫は出かけるとき、「行ってきます」も言わず、もちろん行き先も告げずに黙って出ていきます。Tさんが台所から「どこに行くの?」と声をかけても返事はありません。その一方で、飼い犬にだけは「行ってくるからな。いい子にしてろよ」と優しく声をかけ、頭を撫でていくのです。
帰宅したときも、夫は何も言いません。Tさんが「おかえり」と声をかけても、夫は無言のまま靴を脱ぎます。そして犬の姿を見つけると、「ただいま。いい子にしてたか」と話しかけるのです。その姿を見るたびに、Tさんは胸が苦しくなりました。自分だけが、この家に存在していない人のように扱われている気がしたのです。
最近の夫は、以前ほど怒鳴らなくなりました。しかし、それは夫が穏やかになったからではありません。モラハラ夫は、妻の反応によって自分の支配を確認します。妻が泣く、怒る、怯える、必死に機嫌を取る。そうした反応が、夫にとってのエネルギーになっているのです。
ところが、何十年もモラハラを受け続けた妻は「期待しても裏切られる。意見を言っても否定される。泣いても怒っても、夫は変わらない」そんな経験を嫌というほど積み重ねてきたため、夫に対する期待そのものがなくなっています。さらに、夫自身も年齢を重ね、以前のように大声で怒鳴り続ける体力がなくなっています。そして、妻が反応しなくなったことで、怒鳴る回数も少なくなってゆくのです。
怒鳴る代わりに無視する。不機嫌さを見せつける
その代わりに増えるのが、無視と不機嫌です。返事をしない。顔を合わせない。ため息をつく。乱暴にドアを閉める。怒鳴る支配が、無言の支配に形を変えただけなのです。こうして不機嫌を使い、周囲を緊張させる行為は、「不機嫌ハラスメント」、略して「フキハラ」と呼ばれています。
夫は、機嫌の良い日には、自分からTさんを誘うことがあります。
「今度、あそこに行こう」
「買い物に付き合うよ」
「次の休み、一緒にゴルフに行こう」
Tさんは、夫がそう言うので予定を空けて待っています。ところが、舌の根も乾かぬうちに、夫は別の知人とのゴルフの予定を入れてしまいます。予定が変わったことさえ、Tさんには伝えません。Tさんが尋ねて初めて、「ああ、あれはなし」と答えるだけです。
「私は予定を空けていたんだけど」
そう伝えても、夫は悪びれる様子もなく言います。
「あんたが本当に行きたいって言わなかったからだ」
誘ったのは夫です。予定を空けておくように言ったのも夫です。それなのに、最後にはすべて妻のせいになってしまうのです。
約束を破られても、もう怒る気力は湧きません。傷つかなくなったのではありません。最初から期待しないことで、自分を守っているのです。その一方で、外では別人のように振る舞う夫の態度は、年を重ねるほど巧みになっていきました。知人や親戚がいる場では、夫はTさんに笑顔で話しかけます。
「これ、食べるか?」
「今度、二人であそこに行こうな」
「うちは何だかんだ仲がいいんだよ」
家では挨拶さえ返さない夫が、人前では妻を気遣う優しい夫を演じるのです。周囲から「仲のいいご夫婦ですね」と言われると、夫は満足そうに笑います。ところが、二人きりになった瞬間、その笑顔は一瞬で消えます。帰りの車では口を閉ざし、家に着けば、Tさんの存在など見えていないかのように、黙って自分の部屋へ入っていくのです。
Tさんが普通に話しかけても、返事はありません。
「明日の夕食、何か食べたいものある?」
「……」
「聞こえてる?」
「今、そんな状態じゃない」
夫は何かに集中しているわけではありません。ただ、妻に返事をしたくないのです。しばらくすると、今度は夫のほうから突然、「さっき、何か言いたかったのか」と聞いてくることもあります。
けれどTさんには、もう一度同じことを話す気力はありません。
「もういい」
そう答えると、今度は夫が声を荒らげるのです。
「本当に俺を何だと思っているんだ」
「人前ではいい人のふりをして」
「お前は外面だけはいいよな」
妻の言葉を無視したのは夫です。会話を拒んだのも夫です。それなのに最後には、「妻が夫を粗末に扱った」という話にすり替えられてしまうのです。
モラハラをする人は責任転嫁がうまい
これは責任転嫁です。自分の態度を振り返らず、相手の反応だけを取り上げて責めることで、自分を被害者の立場に置こうとします。しかし、Tさんが他の人といるときに笑うのは、いい人のふりをしているからではありません。本当に楽しいから笑っているのです。
友人との会話には、相づちも共感もあります。けれど、夫との会話には、それがありません。Tさんが何か話せば、「それは違う」「お前は何もわかっていない」と否定されるのです。夫が話すのは、ネットで見たゴシップや政治の話ばかり。知識を披露し、自分が相手より上の立場に立ちたいだけなのです。
さらに夫は、有名人と知り合いであることや、収入の高い知人がいることを繰り返し自慢します。
「俺の知り合いは、あの会社の役員だ」
「あいつは年収がすごいんだ」
その知人の肩書きや収入は、夫自身の実績ではありません。それでも夫は、身近な人の成功を、まるで自分の価値であるかのように語るのです。Tさんが一度、「でも、それはあなたの収入ではないでしょう」と言ったことがありました。すると、夫の表情が一変しました。
「お前なんてクソだな」
知人の力を借りて自分を大きく見せていたところに現実を突きつけられ、夫は怒りをあらわにしたのです。
本編では、30年連れ添ったモラハラ夫との生活についてお伝えしました。▶▶「私は、この人と死ぬまで一緒にいるのだろうか」60歳妻が熟年離婚を決意した“最後のひと押し” では、子どもの巣立ちをきっかけに離婚を決意したTさんが、老後の不安と向き合いながら、自分の人生を取り戻そうとするまでの経緯をお届けします。



