
モラハラ・夫婦問題カウンセラーの麻野祐香です。働く女性は、モラハラやDVをする夫から簡単に逃げられるのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。さまざまな事情から、支配的な配偶者との結婚生活を続けている方は少なくありません。オトナサローネ世代のモラハラ被害にフォーカスした本連載。今回は、妻から「謝れ」と言われて謝っても許してもらえず、黙っていても責められる――そんな理不尽な毎日に耐え続けている、Yさんのお話です。
※本記事は、相談者様への敬意と守秘義務に十分配慮したうえで、モデルケースとして編集・再構成しお届けしています。特定の人物や事例を示すものではありません。
※写真はイメージです
謝っても責められる。黙っていても責められる。何を選んでも正解がない
Yさんは40代の会社員。共働きの妻と、小学生の娘さんと暮らしています。妻も仕事をしているため、Yさんも家事や育児にはできる限り参加してきました。朝は誰よりも早く起きて娘のお弁当を作り、ゴミ出しやお風呂掃除、保育園(学校)の送り迎えもYさんの担当です。周囲からは「協力的なご主人ですね」と言われますが、妻がその努力を認めることはありません。
妻はことあるごとに、「あなたは楽でいいよね。何も考えなくていいんだから」と言います。まだ何かやっていないことがあったっけ、と思ったYさんが「ごめん。あと何をすればいいの?」と尋ねても、妻はスマートフォンに目を落としたまま、何も答えません。だからYさんは、黙るしかありません。すると今度は、「こんな状況になっても、何も言わないんだね」と責められるのです。
謝っても責められる。
黙っていても責められる。何を選んでも正解がない。
これが、「ダブルバインド」と呼ばれる状態です。
ダブルバインドとは、矛盾する二つのメッセージによって、相手を身動きできない状態に追い込むことをいいます。「何か言いなさい」と言われて口を開けば、「口答えするな」と責められる。「黙っていろ」と言われて黙れば、「なぜ何も言わないの」と責められる。どちらを選んでも叱られるため、責められている側は、「自分のやり方が悪いのかもしれない」と感じるようになります。そして、「もっと頑張らなければ」と、自分自身を責めるようになっていくのです。
モラハラでは、このダブルバインドを使って相手を追い詰めることが少なくありません。結婚した当初は、Yさんが失敗をしても「もう、しょうがないな」という、笑いを交えた会話ですんでいました。それが娘の誕生をきっかけに、「なんでできないの?」という言葉へ変わり、やがて「あなたはいつもそう」と言われるようになり……気づけば、ため息と舌打ちが日常になっていました。
少しずつ水位が上がっていく水槽のように、変化はゆっくりと進みます。そのため、渦中にいる本人は、異常な状態になっていることになかなか気づけません。Yさんも、「妻は疲れているんだ」「子育て中はストレスがたまるから仕方がない」と、自分に言い聞かせ続けてきました。
正解の見つからない毎日。朝から晩まで緊張の連続で
Yさんの一日は、朝から緊張の連続でした。お弁当を詰めていると、後ろから妻が言います。「彩りって言葉、知ってる?」慌てて赤いミニトマトを加えると、今度は、「娘がトマト嫌いだって忘れたの?」と言われます。覚えていなかった自分が悪い。Yさんはそう思い、妻に謝りました。
ある日、仕事から帰宅すると、妻は洗濯物を畳みながら、ため息をついていました。「今日も疲れた」そのひと言を聞き、Yさんは急いで夕食の片付けを始めます。すると妻は、「今さら?」と言い、子どもと一緒にお風呂へ入っていきました。
何も手伝わなければ、「私ばかり働かされる」と責められる。手伝えば、「言われたからやるだけでしょ」と言われる。そんな日々の中で、Yさんには、徐々にどうすればいいのか分からなくなってゆきました。
週末、娘のおもちゃをYさんが片付けようとすると、「変な場所にしまわないで」と言われます。しかし手を止めると、「早く片付けてよ!」と急かされます。そして料理を作れば、「味が濃い」と言われる。作らなければ、「何もしない人」と責められる。話しかければ、「今は話したくない」と言われる。黙っていれば、「無視するんだ?」と言われる。何を選んでも、正解はありませんでした。
娘の前でも、妻の態度は変わりません。「パパに聞いてもわからないよ」「パパはいいよね。気楽で」食卓に座っていても、自分だけが家族の輪の外にいるような感覚がありました。
それでもYさんは、「自分が気にしすぎているだけだ」と言い聞かせていました。外での妻は、明るく社交的な人です。ママ友にも親戚にも評判がよく、誰からも感じのいい人だと思われていました。出会ったころも、そんな太陽のような妻のことを好きになった……だからこそ、自分が悪いと言い聞かせ、心の中のざわつきをなだめることに一生懸命になってしまっていたのです。
正月に言われた衝撃の一言
正月に妻の実家へ帰省したときのことです。親戚の前で、妻はにこやかに言いました。
「この人、お弁当まで作ってくれるんですよ」
義母は、「まあ、いい夫婦ねえ」と目を細めました。
けれど、帰りの車の中で妻はひと言も口をききませんでした。そして家に着くと、玄関で振り返り、こう言ったのです。「こんな人を褒めなければいけない私って、かわいそうよね」
Yさんは混乱しました。他の人には明るく親切なのに、自分にだけ不満をぶつける。それなら、やはり自分がダメなのではないか。妻の外での顔と家での顔の違いが、被害を受けているYさん自身に、「悪いのは自分だ」と思わせていったのです。
何を選んでも否定される生活が続くと、人は少しずつ、自分の判断に自信を持てなくなります。Yさんは、家の中で常に妻の顔色をうかがうようになりました。玄関のドアを開ける前に、一度深呼吸をする。リビングの空気から、その日の機嫌を読み取る。
「次は何を言われるのだろう」
そんなことばかり考えるようになっていました。
日曜の夜になると、胃のあたりが重くなります。眠りも浅くなり、夜中に何度も目を覚ますようになりました。
「会社にいる時間のほうが、心が休まる」そう感じている自分に気づき、Yさんは愕然としました。本来、最も安心できるはずの家が、いちばん緊張する場所になっていたのです。
それでも、Yさんは誰にも相談できませんでした。一度だけ、同僚に打ち明けたことがありますが、返ってきたのは、「尻に敷かれてるんだなあ」という笑い声でした。「男なのに、妻が怖いなんて情けない」そう思われるのが怖くて、Yさんはそれ以来、誰にも話せなくなりました。
女性が受ければ「モラハラ」と受け止められる言動も、男性が被害者になると「よくある夫婦の風景」と片づけられてしまうことがあります。モラハラの被害に「男らしさ」という呪縛が重なることで、孤立はさらに深まっていくのです。
本編では、謝っても責められ、黙っていても責められる「ダブルバインド」と、男性であるがゆえにモラハラ被害を相談できず孤立していく苦しさについてお伝えしました。▶▶娘は全部聞いていた…「父を責め続ける母」を見つめる子どもが教えてくれた真実【妻からのモラハラ】
では、娘を守るために耐え続けたYさんがある日気づいた「真実」、そしてダブルバインドから抜け出すための第一歩についてお届けします。



