
*TOP画像/秀吉(池松壮亮)ほか 大河ドラマ『豊臣兄弟!』30話(8月9日放送)より(C)NHK
『豊臣兄弟!』(NHK総合ほか)ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は戦国時代における「台風・地震」について見ていきましょう。
前編記事『連れ去りをしくじるや「自ら首を切って自害」、秀吉の企ての顛末。そして市(宮﨑あおい)茶々(井上和)に迫る過酷な宿命【NHK大河『豊臣兄弟!』30話】』に続く後編です。
藤堂高虎の城は強風で大破
今年は、日本に大型台風が例年より早く到来し、現在も台風がお盆期間に日本列島を通過するのではないかと懸念されています。
戦国時代においても、強風による被害や水害は相次いで起きていました。例えば、藤堂高虎が城主を務める伊賀上野(三重県伊賀市)は暴風で城郭が大破。1608年、高虎は天守閣の構築を始めましたが、1612年に竣工直前の天守閣が暴風で大破したのです。
『豊臣兄弟!』では、高虎を佳久創が好演中。小一郎(仲野太賀)の頼れる家臣の一人として、軍事や築城などさまざまな分野で活躍しています。

今治城と藤堂高虎公像 筆者撮影(2025年9月)
史実では、高虎は江戸城や今治城、二条城などの築城に携わり、加藤清正と黒田孝高と並ぶ“三大築城名人”として高く評価されています。そんな高虎の城の一部も強風によって大破したのです。
熊本城は加藤清正が築城主 豊臣秀吉も地震の被災者だった……?
2026年7月28日、熊本県で最大震度7を観測する地震が発生しました。この地震により多くの人が心を痛め、現在も支援の輪が広がっています。
また、同県では2016年にも最大震度7を観測する地震が発生しましたが、この地震により熊本城は石垣が一部崩落するなど、現在も傷跡が残る大きな被害を受けました。

熊本城 筆者撮影(2026年5月)
ちなみに、熊本城の築城主は加藤清正。『豊臣兄弟!』では、清正を伊藤絃が演じています。秀吉(池松壮亮)に石田三成(松本怜生)、福島正則(松崎優輝)とともに目をかけられている若きホープです。
史実において、清正は秀吉の親戚だったという説があります。築城名人として知られる彼ですが、賤ヶ岳の戦いでは“賤ヶ岳七本槍”の一人として称えられ、関ケ原の戦いでも大活躍しました。
戦国時代においても、地震によって城の一部が崩壊した事例はありました。その1つに、1596年、マグニチュード8近くを観測した近畿大地震で崩壊した山城伏見城(京都市伏見区)があります。この城は豊臣秀吉が自身の隠居所、将来的には嫡子・秀頼の住まいにする予定だったといわれています。
山城伏見城は竣工後も室内の装飾などの工事が行われていましたが、そうした中で近畿大地震が発生。城郭は大破し、多くの死者を出しました。
地震後、秀吉は地盤が固い木幡山の地に伏見城を新たに構築したと伝わっています。
また、現在の中部・近畿地方で1586年に起きた天正大地震により、秀吉は徳川征伐を中止せざるを得ませんでした。この地震により徳川家康の岡崎城は大破し、徳川征伐の先鋒(せんぽう)となる予定だった織田信雄の領地・尾張も大きな被害を受けたためです。
信雄は出兵に後ろ向きだったこともあり、秀吉と家康の仲介を積極的に行い、両者の間で和議が成立しました。
そのほかにも、戦国時代には地震で悲しく、つらい思いを抱いた武将がいます。長浜城を任された山内一豊は41歳のときに6歳の娘・よねを地震で失いました。地震が起きた日、一豊は京都におり、妻・千代とともによねが留守を預かっていましたが、長浜城周辺は大きな被害を受け、多くの人が犠牲となりました。
自然災害に「村」で対処していた
現代社会では、地域の結びつきの脆弱化が指摘されています。若い世代を中心に町内会離れが進む中、あえて白状すると、30代の筆者自身も隣近所との関係がない暮らしに特に困ったり、不安を感じたりすることはありません。自然災害が起きた場合でも行政が中心となって支援を行うため、”町内会に加入しなくてもなんとかなるだろう”という思いもあります。
一方、戦国時代は村単位で台風や地震、洪水、干ばつなどの自然災害に対応していました。被害が人の手では対応できないほど大きい場合は、農地を捨てて流民になる、野盗として略奪行為をして食い扶持を確保する、足軽小者という軍の最底辺の地位に就くくらいしか生き抜く方法がありませんでした。いずれの暮らしも厳しく、つらいものです。
ちなみに、現代の日本は先進国の中でも災害発生時の公的支援が手厚いといわれています。奈良時代から飢饉や災害に備えて備蓄を行ったり、被災者に公設の避難小屋を提供したりする文化がありました。しかし、戦国時代においては一部の地域を除き、この文化が荒廃したという説もあります。
どれだけ備えても、残念ながら天災の被害をゼロにすることは困難です。嘆いて自暴自棄になるでも、ひたすら文句を言い続けるのでもなく、助け合う仕組みをコツコツと作り上げ、手を差し伸べあって復旧し、自ら明日の暮らしを作り出す姿勢は、長くこの土地に暮らしてきた日本人が経験から作り上げた貴重な財産と言えるでしょう。
つづき>>>連れ去りをしくじるや「自ら首を切って自害」、秀吉の企ての顛末。そして市(宮﨑あおい)茶々(井上和)に迫る過酷な宿命【NHK大河『豊臣兄弟!』30話】
<参考資料>
川口素生『戦国時代なるほど事典』 PHP研究所、2001年
河合敦『1週間でわかる戦国時代』扶桑社、2025年



