[第14回]秋葉原通り魔事件・判決(後編)事件を目撃した男性の証言
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「近くにいた私自身は(事故の)音がした方向を見に行った。
すると、車が止まった。車の後を、タクシーが追っかけていた。
タクシーもやられたのか?と思っていたら、やられていないらしい。
タクシーとぶつかって、文句を言おうとしたのかもしれないが、わからないです。
周囲の人は、交通事故だと思ってやじ馬になっていました。
近くで白髪の男性とホームレス風の男性2人が倒れていました。
事故処理をしようと思ったのか、ガードマンみたいな人が寄ってきました(後で聞いたら警察官だった)。
そのときすでに何人か刺していたようです。
私は見ていませんが、警察の話ではレンタカーには5、6本サバイバルナイフがありました。
私の仲間がカフェ、エクセルシオールのテーブルにいて一部始終を見ています。
一緒にいた仲間が言うには、事故の後に停まった車から男が出てきたといいます。
そして、車内からナイフを探して出てきた。
その後、飛行機のように手を広げた格好をして、S字蛇行して、人を追いかけていって刺していた。
マクドナルドの角で、ソフトバンクの店員の女性を刺した。女性が後ずさりしていったのを刺したようでした。
(犯人の)男は私の横も通りすぎました。後ろを通ったのかもしれない。男はベージュの上下の服装でした。
犯人は後ろから右手で、その"事故処理"のために来ていた警察官の背中を刺しました。
最初、(警察官は)突き飛ばされただけと思いましたが、血が噴出して、うずくまって倒れていましたよ。押したようにしか見えなかったのに。
その後、女性の警察官が、「誰か、救急車を呼んで!」と叫んでいました。
そしたら、誰か、「呼びました」と言っていたのを聞きました。8人くらいは倒れているのを確認しました」
いったい、どうしてこのような事件が起きたのか。さっぱりわからない。
それよりも、この日、秋葉原に友人や知人がいたのか気になりました。
結局、直接の知人は秋葉原にはいたものの、現場付近にはいませんでした。
ただ、友人の友人が被害に遭い、死亡したことが後で分かったのでした。
裁判が始まるまで、特に言われていたのは「非正規雇用問題」でした。
自動車業界の生産調整のために、急にリストラが始まる状況だったといいます(しかし、加藤被告自身はリストラの対象にはなっていませんが、対象になるのかどうかの不安は抱えていたかもしれません)。
また、加藤被告が掲示板に書いていた「非モテ」問題には、かなり多くの若者たちが共鳴していました。
「恋愛ができない」状況として「非モテ」を語る場合もあれば、「恋愛をしなくてもいい」という文脈で語られることがあります。
両方の立場の「非モテ」からの事件の言及がされました。
国会では「派遣労働問題」が取り上げられたり、ゼロ年代(2000年代)の若者たちの雇用情勢が言論界で語られるようになりました。
私自身、雇用問題を取材しました。
派遣労働者の実態を描いたドキュメンタリー映画「遭難フリーター」が上映されたり、「希望は戦争!」という過激かつ逆説めいた主張をしていた赤木智弘氏が『論座』でデビューしましたが、より世間の注目を浴びたのもこのころからでした。
私自身も、共同通信の配信記事などで、特に、加藤被告が使っていたケータイサイトと心の居場所との関係について執筆しました。
事件後、この事件を扱ったmixi内のコミュニティのオフ会にも参加しました。
この事件がなぜ起きたのかを知りたい若者、事件に何かしらの共鳴をした若者たちが集まっていました。
共通するのは、この社会に居場所がない、将来の希望のなさを、程度の差はあれ、感じていたことでした。
若者たちの中には、こうした「絶望」が、この事件の背景にあると感じとっていました。
しかし、加藤被告は、若者たちが物語を否定し、「非正規雇用」や「恋愛問題」などの文脈を否定し、ネットでの「なりすまし」や「あらし」からの嫌がらせを「やめてくれ!」というアピールから事件を起こしたというストーリーを証言していました。
これは、どのような意味があったのでしょうか。
意味はないかもしれません。
ただ、まるで、法廷での加藤被告は、「どうせ、死刑なんだし…」と、自分の人生を諦めているようにも見えました。
そして判決公判。
村山裁判長は、「主文:死刑」と宣告しました。
この事件の、ほとんど真実が明らかになっていないとも言える裁判でした。
被害者、ご遺族も納得がいかないと、法廷で証言していました。
被害者、ご遺族のためもありますが、この事件で得られる教訓はいったい何だったのか。
控訴しない限り、私たちは知ることができないし、学ぶこともできません。
しかし、控訴すると、被害者、ご遺族ともに一つのケリをつけられません。悩ましい問題です。(終わり)
《NewsCafeコラム》