【第三回:編集後記~Newsスナック】幸福になる義務
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フランスの哲学者アランは著書『幸福論』の中でこのように語っている。
「どういうこと?」初めてこの言葉に出会ったとき私は戸惑った。
幸福が「権利」というのならわかる。確か憲法にも「幸福追求権」というのがあった。「権利」であれば、それを行使しても、しなくてもいいということある。つまり幸福になってもいいし、ならなくてもいい。「幸福になりたいんだったら邪魔はしないよ」ぐらいな感じである。
しかしアランは幸福とは「義務」だというのである。しかも自分ではなく、他人に対しての「義務」だと。
「幸福でないヤツは他人にとって迷惑だ!だから幸福にならなきゃならん」というわけである。「アラン、厳し過ぎやしないか?」と、思った。
しかし、よく考えてみると、確かに「幸福でない」つまり「不幸」な人というのは周りから見て、迷惑な存在かもしれない。
例えば、血をダラダラ流して、非常に苦しそうな表情をし、うめき声を出している人物がいるとする。
彼はどう見ても周囲からすれば「不幸」な状態であるといえる。この場合、本人がいくら「ほっといてください」と主張したとしても周囲からすれば「いやいや、あなたがどうしたいかは知らないが、血が出ているの怖いし、苦しい表情は見ていて辛い。そして、うめき声は気持ち悪い。早く止血するなり、痛みを抑えるなりして欲しい」ということになる。彼が治療を行い、痛みから解放され「不幸」な状態から脱することは、周囲にとっても必要なのである。
これは極端な例かもしれないが、不幸そうな人、苦しんでいる人がいるというのは、周囲からしても気持ちのいいものではない。
逆に幸福そうに笑っている人がいると、周囲も気分がよくなるものである。
それが赤の他人であってもだ。
「人を傷つけるのが幸福だ!」という危ない嗜好でない限り、幸福であるということは本人だけでなく、周りにとってもよい影響を与えるのだ。こう考えていくと「幸福であること」を「義務」とすることは、社会全体の利益からみても正しいといえるだろう。
わかったよ…アラン。私も他人への「義務」を果たすため幸福になってやろうではないか!
さて「幸福」となると他力本願な私などは「誰か幸せにしてくれないかしら?白馬に乗ったお姫様が現れないかしら?」などと考えるのであるが、そんな甘い考えをアランは許してはくれない。
アラン曰く「与えられた幸福などというものはおよそ存在しない。しかし、自分でつくる幸福は、決して裏切らない」
彼はどこまでも厳しい…。
そういえば私は妻にプロポーズする際に、多くのプロポーズで行われていると聞く「幸せにしてやるマニフェスト」の表明を注意深く避けた。
幸せにできる自信が全然なかったのがその理由であるが、アランによれば幸福は自分でつくるものであり、まったくもって私は正しいことになる。
しかし、妻にいわせると「意気込みぐらいは見せて欲しかった」とのこと。
彼女の気持ちはわかる。
だが、できもしないマニフェストを表明し、片っ端から反故にしていくどこかの政党より、私のほうがよほど誠実であると思う。
もう一度いおう、幸福とは自分でなるものなのだ。
[編集後記~Newsスナック/NewsCafe編集長 長江勝尚]
《NewsCafeコラム》
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