被災地の静かな怒り「メディアは綺麗ごとばかりだ」
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ここのスタッフは石巻市に住む人々がほとんどで地元の方々の憩いの場になっているという。テーブルを囲んでコーヒーを飲んでいる中年の女性と年配の女性を見かけ、話を聞こうと声をかけた。私たちのメディアを含め、テレビや新聞は復興に向けた明るい言葉が少しずつだが増えている。知らずにどこかで被災者から希望を抱けるような話を期待していたのかもしれない。
しかし女性たちが発した言葉の数々は静かな怒りで溢れていた。
「希望なんてない。絆や復興なんて言葉を軽々しく使えるほど被災者は立ち直っていない」
「綺麗ごとばかり並べるあなたたちマスコミに言いたい。目の前で泥まみれになって硬直した遺体を山ほど見た私たちの気持ちが分かるか」
「普通に見えても被災者ひとりひとりに悲しいドラマを心の奥にもっている。それを踏まえて報道して欲しい」
実際に足を運んで瓦礫の山を目の当たりにした。あの日の津波の映像は一生忘れることは無いだろう。しかし、被災者の気持ちと「同じ」には決してなれないのだ。頭で分かっていても「同じ日本人だから傷は分かち合いたい」といった勝手がましい解釈で物事を捉えていたんだと反省した。
彼女たちは続けた。
「でも、決して被災者たちも甘えてはいけない。非被災地の反応ばかりも責められない。国を頼りにしてばかりいるのではなく、自分たちで復興へ向う気持ちを強く持たなくてはいけない。いま、石巻は強いリーダーが必要なんです」
"何十年もかけて作り上げたもの──"
それは建物やものだけではない。人々の生活、つながりなど「生きていることに関わる全て」が一瞬にして消えたのだ、と強い口調で話した。
非被災地と被災地を区切ってはいけない。日本が一丸となって一緒に進んでいかなくてはならないのは大前提だ。しかし私たち「伝える側」は勘違いしてはいけない。被災者の悲しみの深さ、そして怒り、無気力さを知ることは絶対に出来ないのだ。
被災地に本当の笑顔が戻るまで道のりは本当に長いかもしれない。震災から一年を迎えるいま、私たちは伝え方やマスメディアの在り方、そして「心の復興」とは何かを改めて深く考える必要があると強く感じた。
「また石巻に足を運んでちょうだいね。良いところ、美味しいお店がたくさんあるから」
最後、少しだけ和らいだ表情で彼女たちは言った。
※写真は「ホット横丁石巻」
[文]山脇明子
《NewsCafe》