「亡くなった母親へ想いを語る」
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母の日というと、母親への感謝を伝える日。グリーフとどんな関係があるのでしょうか。
もともと母の日の起源は、1908年5月10日にアメリカでお母さんを亡くしたアンナ・ジャービスという女の子が亡き母への想いを語り、教会で白いカーネーションを配った追悼のつどいにあります、と尾角さんは語ります。つまり、母の日は、「亡くなった母親へ想いを語る」ことが出発点なのです。
なぜ、尾角さんは「母の日」に関心があったのでしょうか。
高校時代、母親を自殺で亡くして、母親への感情を素直に表すことがなかったことがありました。しかし、その原点を知る機会があり、楽になったといいます。
「2007年に母の日の原点をたまたまウィキペディアで知ったのです。母の自殺以来、"母の日は自分には関係ない"と思っていたのが、反転したんです。そこからこの原点を一人でも多くの人に伝えようと思い、翌08年の母の日100周年を機に、全国の母を亡くされた方に天国のお母さんへのメッセージを呼びかけたんです」(尾角さん)。
同団体では、この作文募集を「母の日プロジェクト」と呼んでいます。集められた作文は冊子にして、手刷り出版をする(2回目の「102年目の母の日」は、長崎出版で出版化している)予定。
これまでの4年間でどんなメッセージが寄せられているのでしょうか。
母の日の原点を知るまでは毎年母の日が近くなると落ち込み、花屋さんの前を通るのも嫌だったという子がいたといいます。このプロジェクトを知ったことで「母の日なんて大嫌いだった。けれど、自分も素直に母への気持ちを表現していいのだと気づきました」とメッセージを寄せました。また、まるで生きている母に語りかけるように「お母ちゃん、(ゴーヤの品評会で)一等賞とるからね」という沖縄人の男性(当時80歳)の言葉を読み、尾角さんは「何歳になっても母と子は親子で、亡くなってもつながり続けるんだということが伝わってきた」と言い、母と子との関係を再生させる効果もあるようです。
昨年は東日本大震災で多くの人が犠牲になりました。尾角さんは、仙台に向かう新幹線、福島駅で被災。「次々に家族に電話をかけようとしている人たちを見て、『自分には家族がいないんだ』と改めて喪失感が強まりました。震災で亡くしてなくとも、今まですでに亡くしている人は同じように、改めて『いない』ということをより色濃く感じられたかも知れません」と当時を振り返ります。
震災では母親を亡くした人も、尾角さんのように、亡くした母親を思い出した人もいることでしょう。
尾角さんは次のように語ります。
「今は『つながっていない』と感じるかもしれない。しかし、今のありのままの想いを言葉にしてみる、表現してみることから一歩つながりの再生に近づくのではないかと思います。また、昨年の母の日の投稿では『お母さん、力を貸してください』という福島の女性の方もいらっしゃいましたが、そんな風に今感じているままに、改めて気持ちを表すことで、自分の喪失を大事にできるのではないでしょうか」
手紙は800字。手記は1600字まで。タイトルをつけて、氏名(掲載時はペンネームもも可)、年齢、性別、連絡先(住所と電話番号)を明記の上、郵送または電子メール。郵送:は、〒116-0002東京都荒川区荒川4-25-8-603 リヴオン事務局
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[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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