京都府亀岡市の事故で救急センターがマスコミ批判
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ブログには次のように書かれています。
「ご家族の心のケアには人として、医療者として十分な対応を心掛けております。当然、院内や病院敷地内に勝手に入り込み、勝手に取材、写真をとるマスコミには取材の許可を出しませんし、取材拒否の旨をきちんと伝えております。もちろん必要があれば病院から情報を伝えます。
しかしながら、マスコミ各社の記者たちは霊安室の前にカメラをかまえ、お帰りになるご家族の映像を勝手に撮影していました。再三にわたって取材はお断りの旨を伝えていたにもかかわらず、一番大切にしたい瞬間に、ズカズカと土足で割り込んできました」
このブログがTwitterで紹介され、またはネットニュースやブログで紹介されています。たしかに、前出のブログで書かれているように、「再三にわたって取材はお断りの旨を伝えていたにもかかわらず、一番大切にしたい瞬間に、ズカズカと土足で割り込んできました」となれば、関係者として怒りを覚えるのは当然でしょう。
ブログでは、当初は「マスコミ各社」の部分は、会社名を出して、批判していました。しかし、その後修正し、会社名の明示をしなくなっています。また、文中では「霊安室の前」となっていますが、「霊安室だけではなく、処置室、敷地内を含め」と追記がされています。
私は新聞記者時代に起きた観光バスとトラック事故での取材を思い出しました。長野県の木曽谷を縦走する国道19号での事故だったために、交通が寸断されました。私はたまたま事故現場の近くにいたために現場で取材をしました。写真も撮りました。いったい、何が起きたのかを知らせたいと記者は考えますし、読者もそう思っているだろうと考えていました。先輩記者は病院取材に行き、病院内での取材、撮影をしていました。その意味では、今回の亀岡市の事故を取材する記者と心情は同じです。
今回の事故の現場での緊迫感は想像するしかありませんが、きっと、事件性があったことから、加害者取材と被害者取材とに記者が別れていたと思えます。被害者取材の現場で、ブログで批判される事態が起きたということでしょう。
日本の事件報道では、第一報に力を入れています。事件が起きて間もない時期での報道がメインであり、その後の裁判等では、特に社会的関心が高まらない限り、続報は小さなものになります。場合によっては起訴されたのかさえわからないことがあります。こうした被害者への、特に初期段階の過剰な報道が行なわれるのも「発生時」を重点を置いているからです。それは情報の受け手も慣れて、あるいは慣らされてしまっているのです。
もちろん、読者や視聴者が求めるものを発信しなければ、商業メディアは生き残れません。そのため、部数が売れる、ページビューがあがる「ネタ」は、発信側にとっては魅力的な素材になります。しかし、事件報道は、果たしてそれでよいのか、と立ち止まる必要があります。発生時を重視した過剰な報道が、これまで数々の冤罪事件、もしくはそれに近い事件を作り上げて来たとも言えなくはないはずです。そこで一度立ち止まり、発生に重点を置かない事件報道のあり方を模索すべきだと思うのです。
[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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