ふたたび福島で自殺者
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警戒区域に指定されている福島県浪江町に5月27日に一時帰宅し、行方不明になっていた自営業男性(62)が、同町内で首をつって死亡しているのが発見されたのです。警察によると、死因は窒息死。自殺とみて調べています。
報道によれば、男性は原発事故後、福島市内の借り上げ住宅に妻と父の3人で避難していました。スーパーの片付けをするために、初めての一時帰宅をしたのです。しかし、間もなく行方が分からなくなっていたといいます。
男性は妻には「生きていても仕方がない」などと話していました。睡眠導入剤を服用していたともいいます。遺書は見つかっていません。自身が経営していたスーパーなどの近くにある2階建て倉庫1階で亡くなっていました。普段は倉庫のシャッターが開いているが、閉じられていたというのです。
東日本大震災や東京電力・福島第一原発の事故は希望を奪いました。その地域に根付いた人々や文化、経済的な営みを壊しました。街づくりや避難方法に関して「人災」の面がないわけではありませんが、地震や津波は自然災害です。一方、原発事故は明らかに人災の面が強いのです。そんな中、いまだに警戒区域とされている地域で一つの命が失われたのです。ご冥福をお祈りします。
警戒区域となり立ち入り禁止になる前から、浪江町には私も何度か行っています。
「死の街」発言が問題となりましたが、たしかに街としての機能は死んでいます。津波被害でも、救助を待ちながらも、原発事故によって避難を余儀なくされました。救助ができないまま、亡くなった人がいるとも言われています。その後、人々が住まない家、人の通行がないは傷みだしています。地震や津波被害だけでも絶望的な気持ちになる人もいます。しかし、警戒区域の人々は戻って生活を建て直すことも考えられないのです。
震災当初、地震、津波、原発事故で「三重苦だ」と訴えていた福島県相馬市の小学生がいました。夜も眠れなかったといいます。震災によって、友達と離ればなれになることだけでも、子どもにとってはとても辛いのです。浪江町の小学生も、「浪江小学校に通いたい」と思い続け、県外に引っ越すことを親にためらわせたといったケースもあったのです。子どもでさえ、そう思うのです。
もちろん、原発事故があっても、メンタルヘルスのサポートが十分に機能していれば、と思うと、事故だけが自殺の引き金ではないのかもしれません。誰かの助けを借りるといった心理的なベースが不足していたとも言えます。加えて、原発事故の悲劇は、近い将来だけでなく、遠い将来の見通しも建てられないのです。
復興のめどがたたない警戒区域での自殺は、原発事故の被災地以外でも、教訓とすべきことがたくさんあるでしょう。被災地では復興が今後、思うように進まないといったことも考えられます。そうした時に絶望を感じる人もいます。また、家族や恋人、友達など「大切な人」を失った人たちはまだまだ絶望の淵にいることも考えられます。どのように支えあうのか、メンタルヘルスのサポートは今後、大きな課題となるでしょう。
[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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