いじめ対応で子どもが学ぶこと
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そんな中で、大津市の越直美市長は10日夜、亡くなった男子生徒の遺族との訴訟について、「いじめがあったから亡くなったと思っている。いじめと自殺の因果関係が立証できなくても(調査を)放置した市に責任があるため、和解したい」との報道陣に答えています。
これまで市教委は、落ち度は認めていません。教育長は昨年11月の市議会定例会で「(けんかを)指導した結果から、いじめられていたという認識に至らなかった」とも発言し、学校側にいじめの認識がなかったとしています。また、これまで弁護士や臨床心理士から意見やアドバイスをうけていたものの、調査委員会を設置はしてきませんでした。理由については、教育長は同定例会で「保護者からは、調査は調査委員会ではなく、学校が調査を行う方法を選択されました」と答弁したのです。
しかし、越市長ではこれまでの不手際を認める方向になってきました。アンケートはこれまで非公開でしたが、越市長は内容を知る立場にありました。裁判の過程で明らかにされる中で、なぜ越市長は「放置した責任がある」と言い出したのか。マスコミが報道せず、世間の注目が浴びなければ、認めなかったののでしょうか。
たしかに、これまでの「いじめ自殺」裁判では、通常、行政側は「いじめと自殺」の因果関係を認めないことがほとんどです。私が取材したケースでも認めたものはほとんどありません。典型となる裁判がこのタイミングで判決を迎えました。
2005年10月に、埼玉県北本市立北本中学校1年生の中井佑美さん(当時12歳)が自殺したのは学校でのいじめが原因だとして、両親が北本市と国に損害賠償を求めた訴訟の判決が東京地裁(舘内比佐志裁判長)で9日ありまりた。舘内裁判長は「自殺につながるいじめはなかった」と、訴えを棄却したのです。両親は控訴する方針といいます。
佑美さんが亡くなったのは05年10月11日の朝。自宅から一キロ離れたマンションの屋上から飛び降りました。自宅の机の中から母親宛の遺書が見つかり、「死んだのは、クラスの一部に勉強にテストのせいかも」と書かれていたのです。両親は、この遺書と、同級生の証言をもとに、小学校からいじめが続いていたとし、学校が十分な対応をしなかったと主張しています。また、自殺した後も、十分な調査をしないままで、いじめを隠した、ともしていました。
しかし、判決では遺書は「自殺の原因を特定する手がかりにならない」と指摘しています。そして「遺書から自殺の具体的な特定ができず、小中学校で自殺につながるようないじめはなかった」と、いじめを認定しませんでした。
もちろん、「いじめと自殺」の因果関係を認めるのは、どんなケースであれ難しい問題です。自殺の原因は他にもあったのかどうか。いじめがあっても、自殺をしない選択肢はあったのではないか。いろんなことが頭を巡ります。おそらくそれは、訴える遺族自身もそう感じている面もなくはありません。しかし、少なくともいじめがなければ、そのタイミングで自殺をしなかったのではないか。そう思えるケースがほとんどです。
「いじめと認識せず、あるいはいじめを認識していても隠し、対応を十分にせず、因果関係も認めない」。こんな無責任な姿勢を学校現場にいる子どもたちはきちんと見ています。そして、できればいじめらる側にならないために、目立たないようにするでしょう。また、いじめが起きても、誰も助けてくれないのではないか。そんなことを連想させてしまい、いじめを受けている子は絶望しか感じられない状況を作り出しています。
教員が動いただけでは、いじめは簡単にはなくせないかもしれません。また、教員が動くことで、いじめが隠れてしまう可能性もあります。しかし、いじめが起きた時に、教員がどのようにその子どもを守ったのか、あるいは守ろうとしたのか、ということが問われるのではないでしょうか。子どもたちは、大人たちの態度を見て、いじめに対する姿勢を学んでいくのです。
[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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