デモ規制? 表現の自由に制限か
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一方、首都圏反原発連合(反原連)は、11月11日に予定していた「11.11反原発1000000人大占拠」での抗議デモの集合場所として東京都に対し、都立日比谷公園の使用許可を申して出ていました。これに対して、都は「管理運営上の支障」を理由に、申請を却下しました。反原連は抗告していましたが、東京地裁は5日、抗告を「棄却」との判断を示しました。
予定では、11月11日、国会や霞ヶ関周辺をでデモし、その後、国会や霞ヶ関の各省庁での抗議・占拠、さらに国会正門前の大集会を行うというものです。その集合場所として日比谷公園が考えられていました。そのため、反原連は東京都に使用許可を求めていたのです。東京都も使用を認めず、東京地裁も抗告を棄却したことで、予定されていた抗議デモはできなくなりました。
これまで一部から反発はありながらも、反原連は、合法的に国会正門前の抗議集会を毎週金曜日に行なってきました。私も何度か金曜日の抗議集会に出向いています。秩序だった抗議集会であり、時には主催者側が警視庁と一緒になって交通整理などをするといった光景も見られました。子連れを含む一般の人をどれだけ集めることができるのかは、抗議の声の大きさを示すバロメーターになります。その意味で、主催者側としてはできるだけ平和な抗議集会を模索していたのです。
この日の抗議デモと集会も「合法的」にやろうと思っていたのです。憲法にも「集会・結社の自由」が明記されているように、地方自治法でも、公の施設について、原則としては、住民の利用を拒むことはできません。しかし、東京都は拒否。東京地裁でも、当日にイベントが用意されていることを第一にあげ、さらに申請者が参加予定が1万として申請していたが、これまでの実績を想定すると「少なくとも数千人以上」が集合することも考えられることから、収容の能力を超えている、と判断。抗告を却下しました。そのため、反原連の弁護団は、即時抗告をしています。
真に「管理運営上の支障」があるとすれば、主催者の側もテクニカルな問題として考慮する必要があります。しかし、憲法21条は、「集会、結社及び言論、出版その他の一切の表現の自由は、これを保障する」とあります。「居住、移転及び職業選択の自由とは違って、または思想及び良心の自由と同じように、「公共の福祉に反しない限り」との文言はありません。憲法が定める「自由」の中でも、上位の中に入るでしょう。かつて、フランスの哲学者・ヴォルテールは「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利を命をかけて守る」と言いました。それだけ、「表現の自由」は重要ということです。
もちろん、反原連の運動方針や主張に対して異論がある人たちもいることでしょう。私もその1人かもしれません。私は原発反対派でありながらも、漏れ伝わってくる主張すべてには全面賛成はできません。しかし、現在、私が表立って反論しないのは、それよりも運動を押し進めたほうがよいという「大同小異」的な判断です。そのため、今の所、私は異論を公表していません。どんな理由であれ、表現の自由を制限するのはいかがなものでしょうか。
[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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