親がとった最後の手段・・・開成高校生殺害事件(後編)
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■事件の詳細を調べました。母親は、小さい頃に頭が良かった息子を私立の小学校に入れて車で送り迎えし、高学年になると家庭教師をつけて進学塾にも入れています。すっかり王様扱いして奉りあげてしまって、自分は特別な存在だと勘違いさせてしまった…中学生の時には、低学歴の親をバカにし始めている。家の中に社会がないひとりっ子の男の子の教育としては、絶対してはならない事です。同級生との時間をたくさん作って、小さい頃から我慢させて揉まれて鼻をへし折っておく必要があるのです。同じひとりっ子の男の子の親として、やはり親の罪だと感じました。[40代女性]
■近所に偏差値の高い、共学の中高一貫校があります。その学校の通学バス路線の途中に大学病院があります。…が杖をついた方だろうと妊婦だろうと高齢者の方乗ってこようと席を譲ってるのを見たことがありません。いつも思います。偏差値は高いけど人間性は…と。まだ中学生だから? いえいえ、違いますよね。[40代女性]
■完全な自滅タイプです。両親に殺されなくとも、社会人になっても使い物にならなかったでしょう…。まず親に対して「馬鹿・低レベル」と自分より下に見ている時点で、自分の立場を完全に間違えている…。なぜ己が、学校に行き勉強が励めるのか…? 頭がどんなに良くても、メンタル面が脆弱では社会ではやってはいけない。彼より優秀な者はたくさんいます。頭が悪くとも世渡り上手な者もたくさんいる。勉強しか取り柄のないこの子は、自分を上回る者の出現に対しての対処(己の勉強に対する見切り・勉強以外の事を探す)がなく八方塞がりだったのでしょう…。要は既に彼の頭に勉強以外の事を詰め込むキャパはなかったのです。彼は優秀ではなかった。[30代男性]
NewsCafeユーザーの年齢層は幅広い。子供を育てた経験を持つ人、また現在子育て中の人から貴重な体験談も数多く寄せられていた。一部ながら公開していこう。
■悪い子に育てたい親などいない。親戚に何かとはみ出しがちな子がいる。親は極めて常識的で、悪い行動は叱り、良い行動は褒め、人の気持ちを考えて行動するように教えるが、子にはなかなか身に付かない。年配の親戚や教員には問題児扱いされ、親の育て方のせいと言われ続けていた。ここのコメントに多くあるように。診察の結果は発達障害。療育を受け、その子は見違えるように変わっていった。親の育て方は間違っていたのではなく、その子には合わなかっただけ。批判するのは簡単。子どもが良い子に育った人は幸運。我が子が自分にとって育てやすい子に生まれてきた事に感謝すべきだと思う。[20代女性]
■子育てって本当にむずかしい…兄弟同じように育ててもまったく違う人格に育つし。しっかり向き合えば良い子に育つなんて簡単なものでもない。本人の生まれ持った性格とまわりの環境によってどうなるのか本当にわからないのが子育てです。上から目線のコメントが多いですが、私は自分の子供の育て方に胸をはれる訳でもないし、ましてやこの事件の親子を批判ばかりはできません。明日は我が身です。そうならないため今は一生懸命子育てするのみです。[30代女性]
■うちの子供たち4人は世間でいういわゆる落ちこぼれに近い状態だった。だがなぜか今はみんな夫、妻になり親になってそれぞれの伴侶や両親に優しい。うちは決して自慢などできる子供たちではなかった、それより恥ずかしい事の方が多かった。世の中にはぺんぺん草も絶対に必要なんだと思う。[50代男性]
旧刑法においては、親が子を死なせる犯罪には、ほぼすべてに傷害致死罪が適用されていた。つまり殺人罪が適用されるケースはほとんどなかったのである。しかしこれは、親の権限を逆手に取ったもの…現代の先進諸国では認められない。行き過ぎた折檻なのか、明らかな殺意なのか…それを第三者が判断するのは難しい。そしてこの件の父親が起こしたのは、まぎれもない殺人事件である。守り扶養すべき子供を殺害したことは間違いないのである。
それでも届いたコメントは、その事実を認めつつも両親に同情的な内容のものが多かった。理由として様々な所感が寄せられていたが、やはり「子育てに正解はない」という精神や実体験に基づくものだろう。100人の子供がいれば100通りの性格があり、それぞれに合った育て方がある。大前提となるような育て方は別として、子供ひとりひとりの感じ方を汲み取るのは、非常に難しいことだろう。
印象的だったコメントがある。「勉強や成績以外で自尊心を育てられなかったのが一因な気がします。良い成績や点を取ることが趣味や目的になってしまい、自分を見失ったのかな。友達もできなかったのかも。開成や灘レベルの子は運動ができたり楽器が得意な子とか一芸にも秀でてたりするし、やはり心を豊かにする趣味やスポーツは絶対に大事だと思う。この息子さんは精神科を受診したとのことだけど、カウンセリングも必要だったよね。今だったら強迫神経症とかアスペルガーなどの診断がつくような気がします」というものだ。
時として、人を非常に生きづらくさせる"自尊心"…しかしまた、人が生きる拠り所も"自尊心"であるのかと考えさせられた。また「現代の精神医療なら…」という声も非常に興味深かった。確かに、知的障害のない障害…いわゆる"発達障害"が社会に認知されるようになったのは1980年代以降のことである。ユーザーからの意見にもあるように、正しい療育を受けられる時代であったならば、少年の未来は違っていたのかもしれない。
[文・能井丸鴻]
《NewsCafeコラム》