原発再稼動「新基準でさえ合理性に欠く」
社会
ニュース
原発の審査指針は専門家が持ち寄って作ったもの。その過程で見過ごせない誤りがない限り、行政の判断は適法だという論理が、伊方原発訴訟の最高裁判決(92年)でなされたのです。以降、それが基本的な枠組みになりました。
住民が勝った裁判も少ないですが、あります。2003年のもんじゅ訴訟の控訴審で、設置許可無効が言い渡されました。住民側の初めての勝訴でした。冷却材のナトリウム漏れ事故が起き、今後も事故が起きかねない状態だということを裁判所が判断したのです。しかし、最高裁で逆転敗訴となりました。
今回の仮処分決定によりますと、基準地震動(700ガル)は原発に到達することが想定できる最大の地震動であって、それを超えることはあってはなりません。しかし、2005年以後、10年足らずに想定した地震動を超える地震が、全国20ヶ所も満たない原発のうち、四つの原発で5回起きています。伊方原発でも、活断層の評価方法が四つの原発と同じであって、信頼に価する根拠にはならないとしました。
また、運転開始当初の基準地震動は370ガルだったにもかかわらず、耐震工事がなされないまま、550ガルに引き上げられ、さらに、新規性基準の実施を機に700ガルにまで引き上げられました。数値だけ上げる対応は社会的に許容できないとしたのです。
使用済み核燃料についても、格納容器のような堅固な施設によって閉じ込められていません。深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにそうした対応をとっていると言わざるを得ないとしました。
こうした仮処分決定の内容を読みますと、関西電力が未だに「原発安全神話」の中で対応しているのではないかと思えてなりません。東日本大震災のような地震や津波はめったに起きないため、それを想定した対応までする必要はにないと言わんばかりのように読めます。
もちろん、東日本大震災級の地震や津波はめったにあるものではありません。貞観地震を前提にすれば1000年に一回、慶長地震を想定しても400年に一回です。しかし、東京電力・福島第一原発事故後の再稼動です。「神話」から抜け出せない対応はいかがなものかと思えます。
さらに、決定はこうも指摘しています。
「新規制基準に求められるべき合理性とは、原発の設備が基準に適合すれば深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないといえるような厳格な内容を備えていることであると解すべきことになる」「新規制基準は....、緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない。新規制基準は合理性を欠くものである」
つまり、新基準に適合した原発を作れば、安全な原発となるとも読めますが、92年の伊方原発最高裁判決の枠組みを適用しても、その新基準でさえ、合理性に欠くと指摘しているのです。過去の最高裁判決を否定しない形をとりつつも、伊方原発の脆弱性を指摘して、「(その脆弱性を解消する処置の必要性を指摘しない)新規制基準に本件原発施設が適合するか否かについて判断するまでもなく」、原告側を勝利へと導いたのです。
裁判所がここまで国の政策について踏み込むのはとても勇気のあることです。国はさらなる安全基準を作ることが求めらることになりました。
[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
《NewsCafeコラム》