天皇「生前退位」は恒久的な制度化に?
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今回の「お言葉」にはさまざなな論点が出ています。「現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います」。まず、「象徴」ではあるが、「個人の意見」を発したという点が大きいでしょう。しかもほとんどをこの「個人の意見」に割きました。
憲法によって天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定められています。その地位は「主権の存する日本国民の総意に基づく」。大日本帝国憲法では統治権があり、神聖不可侵な存在でした。しかし現憲法では役割が限定されています。象徴天皇制下で、初めて即位したのが今上天皇です。そのため、アンデンティティを模索する必然性があったのでしょう。こうした「個人の意見」も模索の結果だったとも言えます。
現行憲法では、摂政を置くことができます。皇室典範にその定めがあり、天皇が未成年の場合か、「精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」としています。しかし、高齢を理由に、天皇が国事行為をする能力が低下した場合の定めはありません。
仮に高齢を理由に摂政を置くことができたとしても、今上天皇が「天皇」であり続けます。崩御したとき「昭和」から「平成」になるとき、昭和天皇の崩御から関連行事と、今上天皇の即位関連行事が継続されたように、同じことが繰り返されます。このことに関して、ビデオメッセージで、家族の負担をあげていました。「行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることはできないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」。
原則的には、現行のルールに従い、生涯「天皇」であり続け、国事行為を遂行するのに無理がある場合は、摂政を置くべきだと私は考えていました。摂政では不都合な理由があるのなら、それを示して、改正を願うべきと思っていました。それが法治主義というものです。摂政以外の選択を願うなら、個人の恣意的な理由ではなく、システム上から不都合な理由がもとめられます。
たしかに残された家族は過大な負担が強いられます。身近な家族を失ったという個人的な感情を整理するのもままならない間に、関連行為などが続きます。それに耐えうる皇族もいるかもしれません。今回はそうした負担をかけたくないという今上天皇の「個人の意見」を述べたことになります。ただ、それは今上天皇だけではなく、今後の天皇にも、高齢を理由に摂政を置くことが「不都合な理由」に相当すると私は感じました。これには政権与党も無視できません。
今後は法改正が論点になります。憲法では皇位は「世襲」とされ、皇室典範には「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とあるだけです。つまり、「崩御した場合に、即位」となります。そのため、「生前退位」の場合は、退位に関する規定を新たに設けることになります。
ただ、その規定は、今回だけの特別法か、恒久法か。また、退位して「上皇」となった場合の規定も必要があるのかということが焦点でしょう。歴史的に見て、「上皇」と「天皇」が対立し、混乱したことがあります。薬子の変(810年)や保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)では、宮廷内の権力争いが起きました。もちろん、当時は天皇が政治をしていましたので、現憲法下では考えにくいですが。
ちなみに、朝日新聞の世論調査(6、7日に実施)では生前退位に「賛成」が84%、ビデオメッセージ後の共同通信の世論調査(8、9日に実施)でも86%が容認しています。また共同通信は「恒久的な制度」として76.6%が求めています。改正案は内閣が提出することになるでしょう。早期の意見の取りまとめがもとめられます。
[執筆者:渋井哲也]
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