常日頃からがんに備える「がん防災」を提唱し、YouTubeでがんにまつわる情報を発信する腫瘍内科医・押川勝太郎(おしかわしょうたろう)先生。地元・宮崎での診療の傍ら、YouTube「がん防災チャンネル」(こちら)でがんの解説動画を配信、毎週日曜19時から「がん相談YouTubeライブ飲み会」を運営しています。
そんな押川先生の「有名人がん解説シリーズ」で自分の病状の解説を見た梅宮アンナさんは「先生の言葉にとても励まされた」のだそう。自らの闘病を公表することで病に向き合うすべての人たちを支えたいと志すアンナさんと、がんに対する「先々の心構え」を説く押川先生に、「がん闘病の心得」をお話しいただきました。5日連続で配信します。今回は5話中の3話目です。(1/2/3/4/5)
*編集部より/このお話は24年9月16日に採話されました。ご病状等は当時のアンナさんの状態です。
がんにり患している「最中」に起きることを語っている人はそう多くなかった
押川・乳がんは9人に1人がり患しますが、有名人で梅宮さんほどの啓発活動をした人がまだいませんでした。
梅宮・世代ごとに触れるツールが違います。今回、私はまず『自分のSNSだけで地球の裏側まで伝わるかな?』と考えました。私のインスタには私のファンの方だけがいらっしゃいますから、その外側にも声を届けるためにはインタビューを受けてニュースとして配信していただくのが重要だと考えました。結果的に医療従事者の皆さんや、発信する側のマスコミの皆さんに私の考えが届いて、著名な報道番組に出演させていただく機会も得ました。
押川・戦略的ですよね、すごいです。
梅宮・主治医に最初『ステージAというのは公表しないほうがいいのでは』と助言をいただきました。『え、何でですか?』と聞いたら『世の中はがんのことを知らない人がほとんどなので、重く受け取って仕事がなくなるかもしれません』と。『確かに芸能界の仕事はなくなるかもしれないけれど、後に続く人が、なんだアンナはAなんだ、私だからって言いたいと思うんです』と言ったら、先生はなるほどとおっしゃってました。公表したところ、ゴシップではない、しっかりとした取材のお声がけをたくさんいただきました。この経験は得がたいもので、私はこれから同じ志の人たちとつながり続けて、がんの啓発を仕事として続けていきたいと願っています。
押川・がん周辺の問題が知られていないですよね。人間関係の難しさや、いろいろ送りつけられることなども。がんになった人にはすごくリアルな話ですが、がんの研究者はがんになったことがないのでそういう話には疎いのです。ぼくの「がん防災」は備えが大事ですから、医学的な発信だけではダメ。病気の全体像がわかっていて、問題意識があり、病気を生かして世の中に貢献しようとする、梅宮さんのようなスタイルと相性がいいのです。
梅宮・著名人は「がんになりました」までは言うけれど、そこから復帰するまでの渦中のお話が出てきません。私はその途中経過を知りたかったんです。生活はどうだったのか、お仕事は休んだか、副作用は強かったのか弱かったのか。がんになったと言うと『どこに入院してるの』と聞かれます。いまは通院で大丈夫、普通に生活も仕事もできることが知られていないのです。途中経過のしんどさが語られていないから、みんないきなり『大丈夫、乳がんなんてすぐ治るから』『いまの医学は進歩してるし乗り越えられるよ』と口にしてしまうのだろうと。よかれと思っての言葉なのはわかりますが、私はずっと『そんな言い方しないでよ』と思っていました。
押川・『がんサバイバー』という言葉は、治った人だけを指しません。治療中でも、家族もサバイバーの一人ということもあります。なった人はみんなサバイバー。さらには『がんサバイバーシップ』という言葉があり、これはなったあとの人生すべてを指します。海外では盛んに研究されている分野ですが、日本では遅れています。かつては治るかどうかだけが問題でしたが、治ったあとも人生は続き、後遺症や二次がん、経済的困難などいろんな問題を包括するのです。
梅宮・抗がん剤で髪の毛がどう抜けるのかというようなことも案外語られていません。私の場合、投与開始から10日くらいでパラパラと始まりました。ある日衝撃的に脱毛するよとは聞いていましたが、その前にドレッドみたいに髪が絡まり合う瞬間がありました。櫛が入らずとかせないので、絡まった部分を丸ごと母に切ってもらったのですが、母は『アンナがかわいそう』って泣いちゃって。悪いことをしたなと思いました。
押川・もともとがんになると、抑うつ状態に陥る人が多いのです。立ち直れるかどうかは性格によります。人付き合いが苦手で内向的な人はなかなか復活しないので、周囲の人が引っ張り上げてあげるのがいいとされています。5000人ものファンが梅宮さんのインスタライブに集まるのなら、その中にはそうして引っ張り上げてほしい人がたくさんいると思います。
梅宮・私がしてほしかったことを誰かにしてあげることができたらいいなと思っています。
押川・がんはひとつ問題が解決しても、必ず次の問題が繰り上がってきます。治ってもまた別の悩みが出てくるものなのです。たとえば、大腸がんのステージから奇跡的に寛解した人がいたのですが、わずか1年後に自死してしまいました。なんで!?とみんな愕然としたのですが、がんにり患した事実は変わらないし、仕事ができるかというと体調がすぐには戻らず勤務には耐えられない。孤独にもなって、うつ状態が強くなってしまったようでした。
梅宮・いま私が想像できるのは、晴れて病院の通院が終わり、私のタイプの乳がんならホルモン阻害薬を10年飲む、そのあたりまで。10年は長いなと思ったけれど、父は30年以上も再発を気にしながら生きていたから、本当にがんは先が長いのです。知り合いに小葉がんを治療して20年再発していない人がいますが『再発しないように気をつけて暮らすのも疲れる』と言っていました。そもそも忘れる日もないだろうから、何に気をつけたら再発しないかという答えもないし、お祈りしながら日々過ごすしかないんですよね。
押川・再発しなければよいですが、年をとるとまったく別のがんが出てくる可能性もあります。がんの治療と並行して、自分の人生をどれだけ躍動させるかが重要です。がんにかかることで人よりも早く人生には締め切りがあることに気づけたわけですから、時間があることのありがたさがわかる才能に目覚めたとも言えるのです。
つづき(11月27日20時以降読めるようになります)>>>がんになって「はじめて見える世界」がある。がんに集中しすぎないことも重要【梅宮アンナ×押川勝太郎医師#4】
前の話<<<日本でのがん治療は安心して「標準治療」を選んでいいと言うけれど、その理由は?【梅宮アンナ×押川勝太郎医師#2】
お話/押川勝太郎先生
1965年宮崎県生まれ。宮崎善仁会病院・腫瘍内科非常勤医師。抗がん剤治療と緩和医療が専門、’95年宮崎大学医学部卒。国立がんセンター東病院研修医を経て、2002年より宮崎大学医学部附属病院にて消化器がん抗がん剤治療部門を立ち上げる。現在NPO法人宮崎がん共同勉強会理事長。2024年11月より一般社団法人日本癌治療学会公式YouTubeチャンネルを担当。
編集部より/このお話は24年9月16日に採話されました。ご病状等は当時のアンナさんの状態です。