【共通テスト2025】東大生が「地理・日本史・世界史」を解いてみた「高いレベルでの知識力、推察能力が必要」
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日本史で世界史の知識が要求される
全体として設問が減っていたり図版が減っていたりしているが、一方で地理ではややマイナーなインド洋などの話題が取り上げられ、日本史では従来扱わなかった世界史の知識が要求されるなど、若干答えにくさが上がったように感じた。総合して、昨年並みの難易度といえる。ただし、地理と日本史に関しては「やや難化した」と指摘する東大生も一定数いた。
全体として資料や問題文の読み取り要素が強くなり、「知識のみで解く」のではなく「もち合わせた知識と与えられた資料を基に解く」側面が増した。だが、知識系の問題がないわけではない。今回のテストでは「総合」的な側面がそこまで強調されなかったようにも見えるため、今後、より一層「総合」的な側面、すなわち資料読解や科目横断的な思考を要求する場面は増えていくことを考えると、純粋に知識のみで解けるような問題こそ得点源としていくべきだろう。
総合的な知識の運用体制が求められる
地理と日本史の難化ポイントであるが、「地理総合、地理探究」に関しては第3問、第6問の難しさが指摘されている。第3問はエルニーニョ現象について、「貿易風の減衰によるもの」と記憶しておかないと問3が解けなかったり、問4では浸水の被災者数と被害額を各国の自然的条件やインフラなどから総合的に考えないと答えにたどり着けなかったりと、非常に高いレベルでの知識力、推察能力が要求された。特に第6問ではインド洋近辺の地形的知識、宗教分布などが問われており、幅広く学習してきたかが問われる。一見簡単そうにみえる最初の2問についても、しっかり自信をもって回答するには、やや手こずったのではないか。また、第2問以降は全体的に複数の資料を読み取る必要が生じ、時間制限との戦いになった受験生も少なくないだろう。
「歴史総合、日本史探究」は第1問から世界史との総合問題となっており、要求される世界史知識はそこまで深くなくても良かったものの、面食らった受験生はいただろう。また、従来の「日本史B」のみの知識では対応できない問題も見られたため、総合的な学習が必要となる。
一方で、「世界史総合、世界史探究」を解いた東大生は「第1問に日本史交じりの総合問題があっただけで、あとは標準的な共通テストの世界史問題という印象を受けた」と述べた。もともと世界史は日本を含む幅広い分野の歴史について総合的に学ぶ側面が強く、総合問題に対応しやすい可能性はある。従来は「世界史選択の受験生の平均点が日本史選択の受験生の平均点より低く出る」と言われてきたが、総合学習が当たり前になってくる来年度以降では、これが逆転する可能性まで浮上した。共通テスト世界史(日本史も同様)では「一問一答的な知識」「時系列の理解」「問題文や資料文の理解」の3つの能力が必要となるが、「時系列の理解」「問題文や資料文の理解」の2つを要求する比率が年々上がっているように感じる。そのためには、事件の原因、経緯、影響、年号など、さまざまな情報に対して精通している必要がある。一見難しそうに聞こえるが、実は暗記の際には、さまざまな情報を互いに絡み合わせるようにした方が、覚えやすい。1つの側面から記憶を手繰れなくなっても、別の側面から本丸にたどり着くことができるようになるからだ。年号や人物名、事件名など、比較的具体性を帯びた単語を核とすることで、抽象性の高い関連情報を、形を伴って脳内に保管することができる。また、年号を覚えていれば、それらをラベルとして並べ替えるだけで時系列となるし、人物名を覚えていれば、存命年からある程度の発生年の絞り込みを行うことができるなど、やはり「歴史の流れ」を再現することが可能だ。
これからは、従来の「地理」「世界史」「日本史」などの各教科に閉じこもるのではない、総合的な知識の運用体制が求められる。たとえば歴史についてみれば、ある事件について、そのルーツを国内のみならず世界的・地理的な視野をもって考え直す余裕をもつなど、多角的な分析・思考能力を育てる学習スタイルをとると良いだろう。
また、当たり前のことだが、そもそも基本的な知識が身に付いていなければ、科目横断的・総合的な知識の複合運用などかなうはずもない。思考力を試すような形式になったからと言って、知識の価値は落ちていない。むしろ、基礎的な知識をもち合わせている学生ほど、さまざまな知識や情報同士を組み合わせて、「総合的な判断」を下すことができよう。そういった前提を踏まえれば、逆説的に、今後のテストでは知識力、とりわけ基礎知識に関する能力の要求水準は上がっていると考えられる。
さらに、知識をもっている前提でさまざまな資料を読解し、それらから得られる知識を基に解答する形式が一層増していくとすれば、知識ではなく読解力も求められるようになるだろう。社会科目とはいえ、国語や英語などの勉強をしっかりして、いわゆる「読解力」を養成するのはもちろんのこと、「500文字以上のそれなりにまとまった量の文章を読むことについて抵抗感をもたない」といった、「読まず嫌い」的な性質をなくしていくことも、対策に数えらえるかもしれない。
1つの分野に対して特化するのではなく、さまざまな分野について幅広くそれなりの知識を備える能力が要求されるため、たとえば日本史受験者でも世界史の教科書を読んでみるとか、その逆をしてみるなど、「自分は○○を受験するから」と縦割り行政的な態度を取らないことが、今後の活路となるかもしれない。
《カルペ・ディエム・布施川天馬》
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