「最初はシナリオの書き方も知りませんでした」パソコン講師をしながら暮らしていた「普通のお母さん」が、44歳で映画監督デビューを果たすまで | NewsCafe

「最初はシナリオの書き方も知りませんでした」パソコン講師をしながら暮らしていた「普通のお母さん」が、44歳で映画監督デビューを果たすまで

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
「最初はシナリオの書き方も知りませんでした」パソコン講師をしながら暮らしていた「普通のお母さん」が、44歳で映画監督デビューを果たすまで
「最初はシナリオの書き方も知りませんでした」パソコン講師をしながら暮らしていた「普通のお母さん」が、44歳で映画監督デビューを果たすまで 全 1 枚 拡大写真

TOP画像:『Lemon&Letter』が「ミラノ国際映画祭2017」で5部門にノミネートされたときの梅木さん

日々が飛ぶように過ぎていくなかで、自分のあり方に漠然と迷う40代・50代。まるでトンネルのように先が見えない五里霧中の状態ですが、そんななかでも「ほんのちょっとしたトライ」によって、自分のあり方を見つめ直すことができます。その「最初の一歩」として、何をすればよいのでしょうか。

ライター・野添ちかこがオトナサローネ読者にインタビューを行い、リアルな女性の人生を届ける本シリーズ。今回は、パソコン講師として働いていた梅木佳子(うめのきけいこ)さんが、自主制作映画の監督デビューを果たし、数々の賞を受賞。いまもなお走り続ける姿をご紹介します。

◾️梅木佳子さん
   香川県在住、54歳。中学・高校の同級生だった夫と二人暮らし。一人娘は現在大学院生で、親元を離れ九州で暮らしている。

【私を変える小さなトライ#18】前編

 

人生には限りがあるから、何か打ち込めるものを探したくて

2021年7月の『虹色はちみつ』撮影風景

高校卒業まで香川県で育った私は、東京の大学を卒業後、PCソフトウェア「一太郎」を開発する会社に就職。本社が徳島県にあったため、再び四国へ戻ることになりました。28歳で寿退社した頃は、ちょうど時代が「一太郎」から「Word」へと移行する時代でしたので、マイクロソフトのオフィシャルトレーナーの資格を取得しました。

29歳から54歳までの25年間、子育てをしながらもパソコン講師を続けてきました。非常勤ではありますが、基本的には週5日勤務。学校には春休みや夏休みがあるため、長いお休みのときには子どもと一緒に過ごせたのがよかったですね。

リーマンショックの年に、私は39歳で香川大学大学院のビジネススクールに通い始めました。その2年前、親しくしていた従姉妹が突然ガンで亡くなったのがきっかけです。40代の若さでの死に直面したのは初めての経験で、私は精神的に大きな衝撃を受けました。そして、「何か打ち込めるものを探さないと」という思いが芽生え、大学院進学を決意しました。

「チャンスの神様には前髪しかない」

従姉妹の娘がちょうど香川大学を受験する予定で、私も香川大学大学院のビジネススクールに通うことになりました。「地域マネジメント研究科」という研究科で、県内の起業家や東京のシンクタンクの講師による最先端の学びが受けられました。修士論文のテーマは「未婚率の増加と少子化対策」。まだ街コンが存在しない時代に、婚活イベントの企画も手がけました。

たまたま、大学院の同級生に高松市役所勤務の女性がいて、彼女が誘ってくれた「さぬき映画祭」の映像塾に通うことになったのが、映画制作に足を踏み入れるきっかけでした。

大学院に行ったことでその同期とも出会いましたので、「導かれたような感じ」だと思いました。ある人が「チャンスの神様には前髪しかない」というギリシャ神話のことわざを教えてくれたんです。後ろ髪を掴もうと思っても掴めないって、本当にそう。私はもともと行動が早いほうですが、「これは」と思ったことにはすぐに取り組むようにしています。そのおかげで、これまでの人生で多くの出会いに恵まれたのだと思います。

映像塾で初めてのシナリオを書き、43歳で映画監督デビュー

アムステルダム国際フィルムメーカー映画祭で「外国語短編監督賞グランプリ」受賞時に、大津一瑯先生と記念撮影

2011年の映像塾は8日間の日程で、絵コンテ、シナリオ、カメラワーク、録音、編集などを1日ずつ学びました。今思えば、基礎の「キ」の部分ですが、そのとき初めてシナリオを書きました。60人の受講生のなかで、最後の投票で上位3名の作品が15分の動画として制作されました。私は4位で惜しくも次点でした。

映像の世界に興味を持った私は、翌2012年に「さぬき映画祭シナリオ講座」にも参加。シナリオ講座は、シナリオ執筆の基礎を学ぶ実践型ワークショップで、講師陣は『極道の妻たち』の故・中島貞夫監督と、シナリオライターの大津一瑯先生でした。受講生の多くは常連で、私だけが「シナリオのト書きって何?」「柱って何?」という完全な初心者でした。でも妄想の世界が形になっていく過程が面白くて、どんどんシナリオの世界に引き込まれていったのです。

そのときシナリオ講座の先輩に「シナリオは書いたら、どこかに応募しないとダメ」と言われ、「さぬき映画祭2015」のシナリオコンクールに応募。そうして優秀企画賞を受賞したのが『W&M〜ウーマン&マン』でした。それだけでは終わらず、この作品で私は初監督に挑戦することになったのです。初めは怖かったのですが、「監督をやるのを断った人はいないよ」と言われ、覚悟を決めました。これが私の映画監督デビューとなりました。

島の美しい自然を描いた1作目から、2作目・3作目も順調にヒット

この夕景の景色に魅せられて制作した『W&M』

私の初の脚本・監督作『W&M』は瀬戸内海の男木(おぎ)島を舞台にした映画です。「これぞ男木島」という、美しい島の自然を前面に押し出して撮影しました。何度も通ううち、イベントのたびに呼んでもらえるようになって、交流も深くなりました。2作目は『Lemon&Letter』。この作品も男木島が舞台で、移住者の暮らしを描いた物語です。

男木島の美しい海を舞台にした『Lemon&Letter』

『Lemon&Letter』では白い石造りの灯台をバックにロマンティックな夕景を撮影

男木島の人に聞くと、昔は漁港で海水浴をしている子どもたちは芋の子を洗うくらいたくさんいたのに、今では小学校の1クラスが1人、2人しかいない。授業は先生とマンツーマンです。そんななか、瀬戸内芸術祭で島の美しさに魅了され、移住してきた家族がいて、その子どもが「その後どんな人生を送っていくんだろう」と感じて描いたのがこの作品です。5カ国の映画祭で上映されて、「ミラノ国際映画祭」などの国内外の映画祭にノミネートされ、グランプリを受賞しました。

鳥取県を舞台にした『はちみつレモネード』

デビューから順調に進んでこられたのはビギナーズラックかなとも思います。3作目の『はちみつレモネード』は「さぬき映画祭シナリオ講座」で講師だった大津先生から「鳥取県で撮らないか」と声をかけていただき、鳥取県でロケを行いました。

本編では、パソコン講師をしていた佳子さんが、大学院と映像塾に通ったことをきっかけに、映画制作の世界に足を踏み入れたお話をお届けしました。

続いての▶▶『手探り・ほぼ赤字』で始めた映画製作で、国際映画祭にノミネート。そして54歳のいま『作りたい』と願う作品とは)では、インディーズ映画制作現場のリアルと映画制作にかける思いについてお届けします。


《OTONA SALONE》

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