粉じん公害が深刻化するタイ・バンコク。最愛の妻・ナット(ダビカ・ホーン)を呼吸器疾患で亡くしたマーチ(ウィサルット・ヒンマラット)は悲嘆に暮れる日々を送っていた。ある日、ナットの魂は掃除機に宿るかたちで舞い戻り、ふたたび愛を確かめ合う2人。
その頃、マーチの家族が経営する工場では、死亡した従業員の霊が機械に取り憑き、操業停止に追い込まれていた。霊に悩まされる家族や社会から拒絶されたナットは、工場の除霊に協力することで、夫への真実の愛そして自らの存在を「役に立つ幽霊」だと証明しようとするが…。
タイでは誰もが知る怪談「メー・ナーク・プラカノーン」(死後も現世にとどまり、夫と禁断の愛を深めていった女性“メー・ナーク”にまつわる物語)に着想を得た本作は、亡き妻が掃除機に宿って夫の元へ戻ってくるという奇想天外な設定を起点にしながら、記憶と忘却、個人と社会、愛と有用性といったテーマへと静かに深度を増していく。幽霊が日常に存在する世界で、人間社会の価値基準や倫理がいかに恣意的なものであるかを浮かび上がらせると同時に、「記憶すること」がひとつの抵抗ともなり得ることを示唆する。
コメディ、ロマンス、ホラー、SF…様々なジャンルを軽やかに横断しながら、環境問題や労働、政治的抑圧といった現代社会の歪みに鋭く切り込む内容だ。本作は、第98回アカデミー賞国際長編映画賞のタイ代表作品にも選ばれ、ショートリスト入りも果たしている。
監督・脚本を手がけるのは、1987年バンコク生まれの新鋭ラッチャプーム・ブンバンチャーチョーク。本作が長編デビュー作となる。チュラーロンコーン大学映画学科を卒業し、現在もバンコクを拠点にフルタイムの脚本家として活動。大学で映画理論や脚本術を教え、映画批評家としても活動している。2020年にはベルリナーレ・タレントプログラムに選ばれ、短編映画『赤いアニンシー; あるいはいまだに揺れるベルリンの壁をつま先で歩く』が2020年ロカルノ国際映画祭の国際コンペティションでジュニア審査員賞を受賞している。
この度解禁された特報映像の冒頭に映し出されるのは、最愛の人を失い魂の抜けたようなマーチと、死してもなお夫に寄り添うナット。ナットは掃除機の姿を借りて現世に舞い戻るが、思いがけない出来事に戸惑うマーチと、その異様な光景を見守る家族の姿が描かれる。
またティザービジュアルには、薄暗い部屋の片隅でまるで意思を持つように中央のランプが点した、不気味さと同時にどこかおかしみを感じさせる掃除機のカットが大胆に配されている。この掃除機のデザインは、ラッチャプーム・ブンバンチャーチョーク監督の「実用性とバカバカしさを混ぜて」というリクエストに応え、実際に掃除機を作った経験もあるインダストリアルデザイナーのシン・ハオチーが手がけた。前かがみにお辞儀しているような形状が生み出す謙虚なたたずまいは友好的な霊であることを表している。
そんな掃除機が夫マーチの前に初めて姿を現し、二人の出会いのシーンを切り取ったメイン画像も公開された。主演の妻・ナット役ダビカ・ホーンは、2013年、「メー・ナーク」の怪談をリメイクしタイでメガヒットを記録した『愛しのゴースト』でメー・ナーク役を演じて一躍スターダムにのしあがった。
Instagramフォロワーは1800万人を超え、タイのみならず国際的に活躍するファッションアイコンとして絶大な人気を誇る。今作では「掃除機に宿る幽霊」というさらなる難役を、その圧倒的な存在感と繊細な表現力で演じきった。共演には、ウィサルット・ヒンマラット(ドラマ「運命のふたり」)、アパシリ・ニティポン(『デュー あの時の君とボク』『ハッピー・オールド・イヤー』)ら実力派が名を連ね、現実と夢のあわいを漂う物語に揺るぎないリアリズムをもたらしている。
カンヌ批評家週間グランプリ受賞スピーチでラッチャプーム・ブンバンチャーチョーク監督は、「(この作品と賞を)役に立つ幽霊もそうでない幽霊も含めて、タイにいるすべての幽霊に捧げたい」と語ったが、この10年以上、タイでは主に国内の大規模産業の影響による粉じん公害への意識が高まっている。
「粉じん公害が起きるのは当然だ。ホコリでいっぱいの国なんだから」そんなふうに当初は冗談めかして語られていたというが、タイ語の“ホコリ”(埃)という言葉には、空中に漂う小さな粒子という意味の他に、現代のスラングでは人間以下の扱いをされる者という意味もある。
「声を上げられず、自分の人生を自分で決められない、支配者階級の意のままに動かされ簡単に消されてしまう人々のことです」とラッチャプーム・ブンバンチャーチョーク監督は語る。
「霊もホコリも厄介者で、本来いるべきではない場所と時間に現れるという点でよく似ています。家の中、テレビ画面、机の上……ホコリは境界線など関係なく勝手に現れますが、死んだ人間が生きている人間の世界に戻ってきたのが霊です。本来いなくなっているはずなのに時間に逆らってこの世にとどまり抵抗しているのです。こうした意味で(ホコリを取り除くための)掃除機に取り憑いた幽霊というのはアイロニックな存在だと考えています」。
「掃除機」=“役に立つ幽霊”とする妻を描くことで社会的な問題も取り入れることに成功した監督のその手腕は、アジアのみならず欧米の映画祭・批評家からも強い支持を獲得している。
ジュリア・デュクルノー『TITANE/チタン』の衝撃、ウェス・アンダーソンの鮮やかで緻密な映像美、アピチャッポンの持つマジックリアリズムを引き合いに語られ、「まるでヨルゴス・ランティモスがタイに移住したかのようだ」(Screen Daily)とも評された唯一無二の味わいをその目で確かめてみてほしい。
すべてが結びつくラストには、驚きとともに深い感動が待ち受けているはずだ。
『ユースフル・ゴースト』は7月10日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国にて公開。



