
パナソニックで2020年に立ち上がった「女性の体調を可視化する」プロジェクトは、その翌年の年末に原理モデルでのテストをスタートした。#1では「バイタルデータは人間の行動変容を起こす」というプロジェクトリーダー・図師氏の信念を、プランナー・井上氏が実証するまでの約12カ月間を伺った。
しかし、原理モデルテストで「井上レポート」を作成し確証を得た井上氏は、同時に「1周期分のデータがたまるまでユーザー分析が作成できない」、すなわちユーザー初期離脱のリスクに直面する。
この危機を救ったのは「たまたま先輩が取得しておいてくれた」特許をベースとした生体データの分析技術だった。ここからは分析とアルゴリズム構築に携わった3人のエキスパートに話を伺う。
【RizMoを作った12人】#2
「病気が治るわけでも痛みがとれるわけでもない。この商品にいったい何の価値があるのか」

パナソニック株式会社 ビューティ・パーソナルケア事業部 ヘルシービジネスユニット ヘルシー商品部 ヘルシー技術開発課 中野紀夫氏
#1での冒頭はプロジェクトリーダー・図師氏が「計測器の企画経験者もいたため、ものづくり面での可能性は見えていました」と語った。その関係者の一人が、長らくヘルスケア機器の研究開発に携わってきた中野氏だった。
「任天堂が『Switch』を持っているように、ハードを持つことはとても重要です。しかし、ハードだけでは売り切りで終わるため、いかに優れたプロダクトを持っていても今後は危うい。価値提供の継続をなんとしてでも考え出さねばならないのです。図師の言う『モノ売りの時代は終わる』危機感を、分析畑の私も同様に強く持っていました」
中野氏がプロジェクトに参加したのは井上氏の参加直後だった。中野氏もまた図師氏からスライド100枚のプレゼンを受けたという。女性は自分の不調の原因がわかることでハッピーに暮らせる。前向きになり、行動変容が起きる。それを価値にする。そんな方針を説明されたが、「いったい何をするプロジェクトなのか」全く理解できなかったという。
「何が価値なのかが理解できない。たとえば、女性体温計であれば『正確な体温を、早く、間違いなく表示する』という絶対的な価値があります。なのに新プロジェクトは『女性の気持ちが楽になる』。いやいや、そんな漠然としたことを言われても……」
頼みの綱の井上氏が翻訳者であるプランナーの立場から明確な定義を示すかと期待したものの、さらに「寄り添いが大事だ」とかぶせてこられたという。余談ながら、これは#1で図師氏が危惧した「視点の共有」を井上氏が完璧に実行できているとわかるエピソードでもある。が、中野氏にしてみれば「2人がかりで漠然としたことばかり言う」状態だろう。
「病気が治るわけではない、痛みがとれるわけでもない、『でもすごく意味があるんだ』と、図師ばかりか当事者である女性の井上も熱を持って説明するわけです。何度も聞くうちに『これはそうなんだろうと信じるしかない、信じて自分なりに解釈するしかない』という気持ちになっていきました。この、『信じる』というのが私のスタートでした」
「月経周期だけでなく毎日の睡眠データも計測しては」。ベテランの直感が生きる

そんな中、2021年6月に技術継承を決めた「ランズナイト」を手にしながら検討ができたことは大きな助けだったという。
「仕組みがわかることはありがたかった。なのですが、その『ランズナイト』ですら、私としてはお客さまがどこに魅力を感じてお金を払っているかが今一つ腑に落ちない。女性体温計ならば正確な計測という価値がありますが、『ランズナイト』はだいたいの月経周期を把握する、体調管理のための機器なんですね。腑に落ちないながらも、すでにできている以上は、少なくとも温度計測だけでは新しい価値が皆無なことだけはよくわかりました。そこで、これまでの自分の経験分野も合わせて、何か価値を付加できないかと考えて……」
思いついたのが睡眠データの計測だった。「ランズナイト」は一晩中の温度が記録されるため、従来からユーザーは温度の変化をもとに「きっとここで布団をはいだんだよね」「ここでトイレに行ったね」と自分の睡眠を想像していることが知られていた。
「体調管理意識が高い層には睡眠データのニーズがあると直感しました。また、女性体温計での経験から、月経周期の計測では最初の1回目のデータ分析までが長すぎるだろうとも感じていました。一方で睡眠は毎日データが出てきます。日々のゆらぎが見える生体情報が入れば今日の体調を直感的に理解しやすい。睡眠はとても相性がよいという確証がありました」
この、睡眠という提案が、プロジェクトにとっては井上レポートに続くもう一つの転機になった。
というのも、睡眠データを毎日見ることができれば、井上氏が抱えた「1周期30日過ぎるまでレポートが作成できない問題」がきれいに解消されるからだ。加えて、月経周期と日々の睡眠、両方のデータを利用して体調を可視化していくというほかにない価値まで上積みされる。
さっそく睡眠測定も実装したところ、やはりユーザーは「睡眠の質」への関心も高いことが明らかになった。ただちに井上氏が「睡眠と温度」というコンセプトをまとめ、中野氏は睡眠に温度も組み合わせた評価アルゴリズムを作り始めた。が、ここで再び壁にぶつかった。
「飽和している睡眠測定の中で寝姿勢だけが手つかずだった」。偶然存在した出願済の特許に救われる

「当初は『ランズナイト』ユーザーの例にならって、温度だけである程度の睡眠状況を表現できるかなと考えました。しかし、いざ実証実験に進むと、温度から推測できることは睡眠のごく一部分に限られることがわかりました」
つまり「ランズナイト」に見られていた温度変化は、寝返りや離床による熱の移動が主であり、睡眠状態の細かな変動や一晩の特徴を把握するには情報が少なすぎることが判明したのだ。
しかし睡眠の測定は実施すべきだ。測定に必要なもの、実装可能なものは何か。#3で登場する回路設計の吉川氏、サービスシステム開発の森下氏ともただちに検討した結果、新たに3次元加速度センサーを組み込める余地が見えてきた。
とはいえ睡眠そのものの計測機器はすでに市場に多数あり、飽和している。何か特徴を出せないか必死で検討し、見つけ出した要素が「寝姿勢」だった。
「寝姿勢の測定は国内でほとんど手つかずのマイナーな領域でした。センサーで寝姿勢を測定する特許を、わが社の先輩が他社に先駆け20年前に取得していたことをよく覚えていて、ありがたくこれを組み込むことにしました。このあとも社内で『どこがうちの特徴だ?』と常に問われ続けましたが、この段階から即座に『寝姿勢です。他社は手首で測定するので寝姿勢は測れません』と返せるようになりました」
ここから中野氏はもう一つのハードルに挑むことになる。RizMoは医療機器ではなく「雑貨」として発売することが決まっており、これが逆の意味で中野氏のハードルを上げていた。パナソニックのプライドをかけて、万が一にも「雑貨なんだから温度もそれなりなんでしょう」とユーザーに思われてはならない。むしろ「専門家も認める確かな計測手段」と示す必要が生まれたのだ。このため中野氏は生体計測の研究者と連携し、腹部の衣服内温度でも低温期、高温期の二相性を捉えられることを学術的に実証するトライに出た。
「これはうまくいき、学術的なお墨つきも得ました。するとまた社内では『体温計のかわりにならないのか』『舌下温を基準に±何を実現できてるんだ』という話になるんです。『舌下体温計の代替には絶対になりません。でも二相性は捉えられます。確かに実証されています』。とはいえ、これらは専門家である私も最初は気づけなかった価値です。見逃していた部分にこそチャンスがあるのだとも思いました」
「同じデータでもデジカメと生体データは正反対というくらいに違う」。温度分析の苦悩とは

パナソニック株式会社 イノベーション・技術部門 システムテクノロジー開発センター プロダクトソリューション開発部 第三課 齋藤公輔氏
こうして中野氏が睡眠分析の理論を構築する一方、温度分析分野を担当した齋藤氏は異なる種類の苦戦を強いられていた。
最終的には「パフォーマンス点数」と「天気予報のような体調予測」、「低温期から高温期の移行タイミング判定」という画期的な体調評価に成功するものの、入社以来デジタルカメラの信号処理を担当してきた齋藤氏にとって、このプロジェクトは「データの意味が理解できない」ところから始まった。
「データ処理なら類似業務だろうと思うでしょうが、ほぼ真逆の分野です。というのも、デジカメのデータは物理法則や理論にきちっと従って動きます。ところが生体データは人によってまったく違い、何一つ教科書どおりにならない。最初にデータをざっと眺めて、いやまいったな、これまでの知識はまるで役に立たないと、途方に暮れるところから私の仕事が始まりました」
たとえば、生理周期を判定する際の高温期・低温期の体温差は教科書によれば0.3度とされるが、0.2度のときもある。生理は、高温期へ移行してから12±2日後に来るのが一般的とされるものの、人によっては16日後でもおかしくない。女性ならば「数日のずれなんてよくあること」としか思わないが、これだけデータにバラつきがあると数式に落とし込むことができない。当初は文献をひたすら調べてモデルを構築しようとしたが、差異の範囲を設定しようにも根拠となる統計が存在しない。

「男性である私には、このようなずれが日常なのか、それとも不調によるものなのかの感覚がわかりません。1日のずれと2日のずれ、何日をどのくらいの深刻さで評価すべきか、その統計的な指標もこの世にない。一つ疑問が浮かぶごとに専門書を探して読むのですが、文献によっても典型例が違います。こんなに収束しないデータをどうまとめていけばいいんだ……。最後は『ランズナイト』開発者の北沢さんのような、長年知識を蓄積している人の言うことがいちばん信頼できると結論づけ、その知見をアルゴリズムに落とし込むようになりました」
中でも苦労をしたのは#4で登場する「パフォーマンス」の点数化だった。パフォーマンスは生理周期と睡眠を総合して点数を出すことに決めた。温度の二相性を判定すれば、月経期・卵胞期などの推定はできる。しかし、このあとが問題だ。
卵胞期の体調は一般には「いい」とされるのに、「むしろ悪い」という人がどんどん出てくる……

専門家は「女性は卵胞期、つまり排卵前がいちばん調子がいいのです」と言う。この情報をもとに「卵胞期n日目までが何点」と割り当ててテストに入る。データを集めるのに1周期かかるが、いざデータが出てくると割り当てた「n日目」ではピッチが広すぎたと判明する。適切に修正し、さらに1周期テストする。そしてお察しのとおり、「卵胞期のほうが調子が悪い人も存在する」という事実に突き当たって膝から崩れる。
「幸いにして、『ランズナイト』北沢氏の協力で研究資料やデータが共有されました。それをもとに再度解析して、足りないものをモニターの皆さんに聞くという方法に変えました。ですが、それにしても生理周期と睡眠のクロス評価なんて世に先行例がありませんから、どんな比率で点数化するか、量と質と長さをどう評価するのか、ホルモン周期にはどう点数をつけるか……。医師、専門家とも相談を重ねて理論値を組み立て、1周期かけて検証して、データが集まるとまたもや人によって全然違う。相変わらず何一つ収束しない、これは理論にまとめるのは無理じゃないかと思い始めて……」
結果的に、多人数のデータから割り出す方法をあきらめ、個人のデータだけを深く分析することにした。個人個人の波を解析していき、その波から偏差を割り出し、自分に合ったアドバイスを出す手法にたどりついたことで「天気予報的な予測」という表現を編み出せたのだという。

「天気予報は必ずぴったり当たるものでもなく、ある程度の誤差を含みますから、よい比喩でした。ですがこの後もまた……たとえば、お腹の位置のどこで温度がどう変わるかの先行研究も当然存在しませんから、自分で試すしかない。お腹にプロトタイプを5つ装着した状態で会社の仮眠部屋で寝て、寝返りを打つと体温は何度変わるのか、エアコンで室温を一定にしてモデルを作ります。『会社で昼寝できていいねえ』と言われそうですが、こちらとしてはもう必死で寝ています。そしてまたデータがばらついて、生体の不確かさに絶望し続けるんです」
結果的に、おへその周囲は左右どちらでも変わらなかったが、どんな頻度で寝返りをしてどんな姿勢で寝るか、布団の有無などによって刻々と温度は変わることがわかった。結論として一晩のどこか1点で評価することは不可能で「一晩中データをとり続け、その中でいちばんいいデータを拾う」という結論に達したという。
「サービスインして新たにデータが集まっている段階ですので、それに合わせて分析アルゴリズムもどんどん改善している最中です。やってもやっても終わりはない。本当に完成という言葉のない事業に入ったなと感じます」
仕様書500枚の壮絶なデータ統合。社歴が浅いからこその「先入観のなさ」が生きた

パナソニック株式会社 ビューティ・パーソナルケア事業部 ビジネスデザイン部 フェムケア推進課 窪田絢氏
こうした睡眠・温度のデータを最終的に統合し、見せ方を考える重責を担ったのが、今回のプロジェクト内でもっとも入社年次が浅い窪田氏だった。
チームに最後に参加した窪田氏は、ユーザーが自身の体調の変化を日々の流れとして分かりやすく把握できるようにするため、井上氏・中野氏・齋藤氏の企画書や仕様書をもとに、分析結果をどのように統合・変換すべきかを検討する役割を担った。
「検討していく中で、お客さまが入力した症状をもとに、月経周期のリズムに合わせて1日ごとに予測できる機能を開発しました。これら複数の分析が正しく連動する流れを構築していくのですが、統合ももちろんのこと、難関は拡張性の確保でした。生体データは収集を続けると育ちますから、先々改修や追加が簡単にできないとならないなと思って」

おそらく窪田氏の業務がいちばん大変だったのではないか、と中野氏、齋藤氏は口をそろえる。というのも、2人が作る仕様書は10~20ページ程度だったが、窪田氏の作る仕様書は最後には500ページを超えたからだ。
「『変更可能な設計』が本当に難しくて。拡張の可能性を考えて分岐ポイントを作り、細かなユニットに分けていきます。先の齋藤の例でいえば『きっと月経周期と睡眠の質の相関なんかも声が上がるよね』と事前に予測して、来そうなところの分岐を増やしておきます。不調に対してアドバイスを表示する機能も、来そう不調層、妊活層 がメインだけれど、先々更年期などライフステージも変わるかもしれないなと見込んで組み込めるようにして」

前述のとおり、窪田氏はプロジェクト内でもっとも入社年度が浅い。長く担当した商品がないことが今回むしろ有利に働いたという。というのも、「販売して終了」のプロダクトメインだったパナソニックは、ソフトウエア開発の場面で「あとから拡張するための設計」の重視度がまだ弱い傾向にあったが、逆に窪田氏にはこの思考が薄かったためだ。また、女性であるがゆえに「使い勝手がわかる」面も有利だった。
「たとえば、月経前は不調ですよねと言われたところで特に対策もできません。でも、1日ピッチで『この日にいつも〇〇の不調が出ています』と予測すれば、その日だけ予定を入れないという対応ができるかもしれない。解析してみると、そもそも不調の出るタイミングが想像以上に人によって違いました。やはり時期でざっくり言わず、1日ずつその人に応じた予測にしたほうがいい。まさに天気予報でした」
この不調の入力手法もさまざまに検討され、最終的に30項目用意したアイコンをタップして記録する現行の方法に落ち着いた。齋藤氏の結論と同様、代表的な不調モデルからの差で判定するのではなく、個人の入力にもとづいて不調を予測することに徹し、データが2周期、3周期とたまるにつれより正確に予測できるように設計した。
「参考にしたのはジャーナリングという、体調を記録して波を見つける医学的にもエビデンスのある手法です。一般にジャーナリングは不調だけの記録になりがちなのですが、アプリならば体調がよいというポジティブな入力も行いやすいため、傾向と波の連動をきちんと判定できるのが利点です」

つづき>>>無限にある白という色から探しに探して「これだ」と決めたその白の正体。「伝わらないかもしれなくても」形に込めた願い



