
「人生の指針として、僕は脳の中の母が喜ぶことをし続けているのだと思います。嘘をついたり、人を裏切ったりすると、きっと母が悲しむだろう。そんな視線が自分の中に常にあります」
2005年、中学2年生になったばかりの4月に、母親をJR福知山線脱線事故で亡くした尾形麗さん(34歳)。現在は総合美容ブランド「MONNALI(モナリ)」を運営する尾形さんは、なぜ女性の美容という道を選んだのでしょう。その経緯を伺いました。
前編記事『JR福知山線事故で突然母を亡くしたとき、まだ13歳だった美容ブランド社長。「でも、親が子を思う気持ちは、親が死んでもこの世に残る。耳を澄ませば聞こえてくるんです」』に続く後編です。
TOP/中学校の卒業式の日に。右には陸上の恩師が。
予想外すぎた高校受験の失敗。しかし、自分の進みたい道はそのおかげでクリアになった

高校受験勉強を伴走してくれた家庭教師の先生と。
「母が亡くなって、しばらくはパニック障害のような状態を過ごしました。しかし、落ち着いてきて思考がクリアになったら、僕は人生で初めて本気で勉強しようと決意しました。それまではテストで20点以上取ったことがないほどで、きっと母は『この子は将来大丈夫かな』とめっちゃ心配してたやろなと思うんです。その、僕の脳の中にいる母の心配や不安を解消してあげたいと感じるようになりました」
尾形さんの父親は、尾形さんの小学校時代に小さな鍼灸院から転換してエステサロンの経営を始め、中学の当時は支店の拡大中でした。そんな姿を見て、自分自身も経営者になりたいという思いは尾形さんも漠然と持っていたそう。中学3年になる直前から猛勉強を始めた尾形さんはレースで培った集中力を発揮し、難易度の高い高校を目指せるまでに自分を追い込みました。しかし志望していた私立高校の受験には失敗してしまいます。
「まさか落ちると思っていなかったので、そこしか受けていなくて(笑)。慌てて他に行ける高校を探して進学しました。でも、これもまた僕にとっては一つのチャンスでした。高校在学中、16歳で小さなビジネスを始めようと、思考を進めることができたから」
自分の力でものを売り、利益を出す感覚をどうしても知りたかった尾形さんは、海外のフリマサイト・イーベイ(eBay)を利用し、車の部品や生活用品など自分が目利きをできる分野で、日本で手に入りにくいものを見つけては仕入れるビジネスをスタートしました。
「といっても年間の売上は30万円ほど、原価は5割程度のかわいらしいものでした。しかし、この経験で自分にとっての商売の基礎感覚を身に着けることができました。その後、実践的なビジネスの授業を持つ大学に進学し、2年生のときに美容ブランド・MONNALIを立ち上げました」
母を、女性を「大切にする」ために、必要なもの・必要ないものは何なのか

開発検討中の尾形さん。
車の部品の輸入販売でビジネスを始めた尾形さんが、美容分野に転換した理由には、お父様の会社の後継者として身を立てるという意識もあったのでしょうか?
「いいえ、まったくありません。僕はこれまでの人生で、父から父の商売の後継ぎとして扱われたことは一度もなく、僕は僕でできることをして生きていくと考えていました。たまたま自分がやりたいことが父の商売と重なる分野でしたが、その理由は父よりもむしろ母でした。僕は僕の脳内の母が喜んでくれることをしたかった。そして、いちばんクリアに母の笑顔をイメージできるのが美容分野だったのです」
もちろん、そう自分が自然に思うように父親がうまくレールを敷いてくれていた可能性もありますが、父はとにかく女性を大事にする人でしたから、父の事業というよりは、父のその姿勢のほうに影響を受けているかもしれません、と尾形さん。
「化粧品は香りやテクスチャー、色など使用感を大切にする人もいるいっぽうで、生理学的に見た場合、それは人体に本当に必要なのか。自然の中にあるものから作られないと、人間の体にとって有効に機能しないという直感がありました。もちろん、化合品のすべてが悪いわけではありません。安さ、防腐力など、どの視点で見るかによってよしあしは変わります。そんな中、僕は『大切にする』という視点で化粧品を捉えました。2013年、当時はまだあまり知られていなかった植物幹細胞を活用した美容液を作り、ブランド設立の1品目としました」

中央の写真がMONNALI第一号の美容液。
背景には女性を、そして母親を「大切にしたい」という思い、またここまで自分を育ててきてくれた周囲のみなさんへの感謝があったと言います。その後、ピーリングジェル、化粧水、クレンジング、美容液、クリームと、基礎化粧品全分野を開発します。

さらに2014年には発毛ブランドのBIDANをスタートしました。発毛分野はお父様との協業です。

「父はエステに注力していたので、ヘアケア事業に力を入れる気はなかったようです。しかし、エステの現場では薄毛に悩む女性が本当に多い。肌はきれいにできても、髪はどうしようもないという課題を長い間感じていたそうです。母は41歳で亡くなっているので、僕が20代のころはちょうど50代、更年期に差しかかるお客様の姿に母が重なりました」
肌をきれいにするメカニズムを頭皮に応用すればよいという確信から、商品開発に着手したものの、父親と2人で発毛サロンを手がけようと思うと伝えたところ周囲からは驚くほど大きな反対の声があがったそうです。中には、せっかく着実なエステ事業で信頼を獲得してきたのに、怪しい発毛分野にわざわざ進まなくても、という声も。
「それでも、生える確信はありました。僕は美容の専門家ではあっても、細胞や生体の専門家ではない。無知な分だけ素直にいけたのかもしれません。実際、僕は現在に至るまで自信を持ってこの事業に注力していますし、感謝の声もたくさんいただいています」
一人でも多くの女性を心の底から笑顔にすることが、自分にとっての本質的な満足

商品発表会での尾形さん
「思春期に母親を突然亡くしてしまったことは、本当に悲しく、不幸で、いまでも言い表せない苦痛です。そのおかげと言ってもいいのでしょうか、僕は女性の美に関する事業に力を尽くせば尽くすほど、親孝行をしているという感覚を持つことができます」
もしも身近な方を亡くされた方がいらしたら、と尾形さんは語ります。
「僕が20年かけて知ったことは、親の教育や、親が子を思う気持ちは、たとえ親という存在がそこにいなくなったとしても、確かに続いていくものだということでしす。僕はいまだに周囲の人々の言葉から『これはきっと母が伝えたかったいことに違いない』とメッセージを受け取ったり、あるいはいまでも母がいろいろな偶然を差配して守ってくれていると感じることがあります」
自分が親となった現在では、時には自分の中に母親の視点が生まれて、新しい行動が自分の中に芽生えることもあるといいます。
「姿は見えないけれど、母はいまも僕の面倒をみてくれていると感じます。母のとったさまざまな行動の記憶が僕の中にはたくさん積もっている。僕と同じように親を亡くした人たちは、大人になってからもまだまだ寂しく、悲しいと感じる日があると思います。でも僕は、僕の中に根付いた母とともに生きている、耳をすませば母の心が聞こえてくると感じています。だからこそ、母を笑顔にするために、そして多くの女性に心の底から笑ってもらうために、僕は作るべきものを作り、貢献していきたいのです」
つづき>>>JR福知山線事故で突然母を亡くしたとき、まだ13歳だった美容ブランド社長。「でも、親が子を思う気持ちは、親が死んでもこの世に残る。耳を澄ませば聞こえてくるんです」


お話/尾形麗(おがた れい)さん



