乃木坂46池田瑛紗「人生について悩んでいた」オーディション受けたきっかけは志望校不合格 母に告白したのは最終審査後
芸能
モデルプレス/ent/wide/show
【写真】坂道グループの豪華集結ショット
◆池田瑛紗、人生悩んでいたときに出会ったオーディション
「青葉坂46」は、今オーディションで選ばれたメンバーだけで結成される新しいグループ。メンバーは一年間の活動を経て、乃木坂46の7期生・櫻坂46の5期生・日向坂46の6期生のいずれかへ配属される。
自身がオーディションを受けたきっかけを問われた池田は「志望していた学校に落ちてしまって、人生について悩んでいた時に、乃木坂46のオーディションに出会ったのが、オーディションを受けようと思ったきっかけです。オーディションを受けようと思ったことを誰にも相談せずに最終審査までいって。初めて母に打ち明けたのが、最終審査が終わってから1週間くらい経ったときでした」と回想。
オーディションで披露した特技については「絵を描くことが好きで、美術大学の受験を志望していた」と話し、オーディションの二次審査・三次審査の際にもアピールしたそうで「『最終審査の時に絵を持ってきます』って、その前の審査で宣言したのにもかかわらず忘れてしまったのが、オーディションの時の失敗談です(笑)」と振り返った。
賀喜は「高校生の頃は、どこにでもいる普通の女子高生っていう感じだったんですけど、周りが部活とか勉強とかに打ち込む中で私は何もしておらず、学校と家の行き来しかしていなくて。そういう状況に焦りも感じていて。このままでいいのかな?自分の人生?っていう風にずっと思っていた中で、坂道合同オーディションを見つけて。挑戦してみようかなって思ったのがきっかけなんです。私は母にだけこのオーディションを受けたいんだよねっていうのを最初に相談して。そしたら快くというか、頑張ってきなよっていう風に言ってもらって。家族も皆応援してくれてっていう感じで、皆に支えてもらいながらオーディションを受けました」と思い返した。
「特技はイラストを描くのが好きなので、イラストを見せたり。最終審査ではもうイラストっていう武器を使ってしまったので、私には何もなくなってしまったって思って、自分がどれだけ坂道グループを好きなのかとか、ネガティブな自分を変えたいんですっていう熱意を、しゃべりで伝えさせていただいて。もうちょっと特技とか何か作ってやっていったらよかったなとか、もうちょっとできたんじゃないかなって今になって思ったりするんですけど、今こうして乃木坂46としてメンバーでいられているので、あの時の選択は間違っていなかったんだなと思っています」と笑顔で語った。
◆大野愛実、誰にも相談せずオーディション応募
上村は「中学1年生か2年生ごろの時に、坂道合同オーディションというオーディションが開催になったんですけれども、ずっと人見知りで引っ込み思案な性格だったので、クラスメイトの子から話しかけてもらっても、全然一言も返せないみたいな、そんな子供だったんです。でも坂道グループのことを考えている時だけは、すごく幸せで。お家で1人でアイドルごっことか、アイドルプロデュースを脳内でしてみたり。空想だったり、坂道グループに対して想像してみるのがすごく好きな人間だったので、これは受けるしかないと思って。3坂道合同というのもあって、どのグループも大好きだったので、ぜひ受けさせていただこうと思って、セミナーに応募させていただきました。家族も、私がすごく好きで坂道グループに対して希望を抱いているっていうのを知ってくれていたので、すごく応援してくれて、背中を押してくれたことは今でも感謝の気持ちでいっぱいです」と笑にっこり
特技で早歩きを披露したことについては「全くふざけていなくて。本気で早歩きが早いと思って書かせていただきました(笑)。でも本番で慣れないヒールの高い靴を履いていってしまったので、全然早く歩くことができなくて、微妙な空気感になってしまったことが、すごく失敗だったなと思うんですけど、結果的に挨拶とかしっかりしようって心がけていたので。それがきっと審査員の方の目に留まってくださったのか分からないですけど、運よくご縁があって、ここにいさせていただけてありがたく思います」と語った。
大野は「もともと日向坂46が大好きで大ファンだったので、オーディションが開催されるというニュースを知って、これは受けるしかないと。このタイミングでオーディションが来ることは運命だと、そう信じて応募しました。オーディションを受けることは最初は親にも友達にも誰にも相談せず受けたんですけれども、最終審査の1個前審査くらいで親に打ち明けて。その時は反対されたんですけれども、なんとか説得して、日向坂46の素晴らしさを親にいっぱい伝えて、なんとかオッケーをもらって、今ここにいます」と笑顔を見せた。
「当時の私には特技が何もなくて、一応学校では料理部に入っていたので、毎審査ごとに日向坂46の曲名に関する料理を作ってきて披露していました。失敗談は、当時は泣き虫で、オーディションっていう人生の分かれ道に立たされることが、それまでの人生でなかったので、すごく恐怖心から涙してしまったんです。オーディション中にうまく審査にこたえられなかったり、伝えようと思っていたことを伝えきれなかったり、そういう失敗もあったんですけど、今振り返るとそれも失敗じゃなくて、ありのままの自分だったんじゃないかなと思って。オーディションとか、今もそうなんですけど、活動の中で明確な失敗ってないなって、今もすごく感じています」と語った。
◆森田ひかる、特技を披露できなかった過去
森田は「もともと坂道グループが大好きで、毎日ライブ映像であったりミュージックビデオを見て楽しんでいたんですけど、ライブ映像を見ているときに、メンバーの皆さんから見た景色ってどういう景色なんだろうなって思って、そこからアイドルっていうものに興味を持ち始めて。坂道合同オーディションが開催されたのが高校2年生の夏だったので、ちょうど進路希望だったり、将来について考えるきっかけでもあったので、そのタイミングでオーディションを受けようと決心しました。オーディションは私も誰にも言わずに受けたんですけど、審査が進むにつれて、東京に来ることになった時に、1人では行けなかったので、最初は姉に相談して、空港に送ってもらったり、最終審査は母と東京に来たりしていました」とコメント。
「特技は本当になくて、実際にオーディション中にも特技がないですっていう風に言ってしまったんです。もしかしたら青葉坂のオーディションを受ける方も、皆さんの前で披露する特技がないよっていう方もいらっしゃるかもしれないんですけど、特技は披露したほうがよかったのかもしれないですけど、私はしなかったので。これを見てくださっている皆さんの勇気になれていたらいいなと思います。失敗は…すごく方向音痴で、最終審査の会場に全然たどり着けなくて、すごく迷って、本当にぎりぎりに会場にたどり着いたので、もっと事前に地図アプリを開いて予習しておけばよかったかなという風に思いました(笑)」と話していた。
的野は「もともと櫻坂46が好きだったっていうのもあるんですけど、好きだからこそオーディションの応募に身を引いちゃうみたいなところがあったんです。SNSだったり広告が目に留まって、挑戦してみてもいいんじゃないかなっていう気持ちが沸きあがってきたので、勇気を出して踏み出してみたんですけど、その時は誰にも言っていなかったですね。両親とかに言おうかなって迷ったんですけど、プレッシャーをあまり感じたくなかったので。書類の結果がどうであれ、自分1人でこれを完結させたかったので、自分だけで応募したんです。最終審査あたりでは東京に行かなきゃいけなかったので、言ってはいたんです。反対されてしまったんですけど、大野さんと同じように長文で説得して(笑)」と発言。
「特技はなかったので、その時は体育の授業でソーラン節をやっていたんですよ。なのでソーラン節をやろうと思って、ちゃんと振りを覚えて臨んだんです。これは失敗談なんですけど、泣いちゃって。泣きながら声を張り上げてソーラン節をするっていう。歌唱審査も声が裏返っちゃったりして。ダメだなって会場で泣いちゃったりしたんですけど、ちょっとでも印象に残ってくださったのかなと思うと、あれでよかったのかなって」と振り返った。(modelpress編集部)
【Not Sponsored 記事】
《モデルプレス》


