
60歳の定年まで残すところあと半年足らずのミリさん。「いまの私は次の10年を考えるよりも、これまでやり残したことを片付けていく1年」と語ります。
そんなミリさんが突如として26年8月末、長年の積み残しだった「ロシアへの留学」を果たしました。2026年のモスクワで女子大生を再履修するミリさんの不定期日記をお届けします。
【アラカン☆モスクワ女子大生日記】#3前編
9月18日(金)曇り時々晴れ モスクワ14
「オイ~!これこそロシア!ドストエフスキー!!」と叫んだのは、3日前にクラスに入った韓国人女性ブヒョン。問題に答えられなかったとき、驚いたとき、うれしかった時、どんな時も「オイ~」と叫ぶブヒョン。その言い方がなんだかコミカルで、クラスでは「オイ~」が流行り、ブヒョンはあっという間に人気者になった。そのブヒョンが落ち込んでいる。
8月末に私が到着したときはすべてがキラキラと輝く夏だったモスクワは、9月半ばを過ぎ、曇天で一気に気温も下がり秋の様相。大学の授業は月曜から木曜まで。金曜日は休日、というか、溜まった宿題をする日だ。今日は上のクラスの駐妻・チヒョンが、ブヒョン、私と同じクラスのソジン(3人とも韓国人)とともに、「レーニン図書館」で一緒に宿題をしようと誘ってくれた。
チヒョンとソジンはすでにモスクワ滞在2年目。町の北にアパートを借りて住んでいる。30代半ばのチヒョンは外交官の夫に付いて。韓国政府機関で働く30歳のソジンは2年のサバティカルで来ている。
どんな仕事か知らないが、ソウルで働いていた20代後半のブヒョンは、(韓国ではロシア語ができたほうがより良い就職ができる)という理由で、この大学にやってきたという。ブヒョンは私と同じ大学の寮に住む。2人部屋らしいが、同室になる予定の韓国人はまだ来ていない。
「ほんとほんと。まさにドストエフスキーだね!!たまらないねこの暗さ。」と私が答えると、ブヒョンは驚いた顔で言う。「オイ~。何言っちゃってんの?こんな天気最悪じゃない。もう韓国に帰りたい!」と。
「なぜ私はロシアに来たかったのか。この並木道を歩きながら気づくこととは
ブヒョンの落ち込みには3つの原因があった。ひとつはこの暗い天気。もうひとつはルームメイトがいないさみしさ。そして何よりつらいのは、ネットがつながらないことだった。
外国人が集まると必ず話題に出るのが「いまどこのVPN使ってる?」だ。通常のネットはなかなかつながらないことが多い。だからみないろんなVPNを探し、いろんな国を経由して通信を保とうと情報を交換する。「私はオランダ」「僕はドイツ」という具合に。
たまにごきげんなVPNと出会っても、クレムリン近くではつながらない。通信は当局とのいたちごっこだ。ブヒョンは入国して3日たっても、何をしても、どこに行っても通信がつながらないという。すごく孤独なのだ、と。そこにきて、今日はドストエフスキーが追い打ちをかける。
二人で駅までのレトロな高層アパートに挟まれたプラタナスの並木道を歩きながら思う。
(ああ、私がロシアに来たかったのは、このためだったかも)。

いろんな意味で罰当たりかもしれないけれど、私はとても疲れていた。ネットから流れるニュースや情報の洪水に。SNSに。FBに。メールに。LINEに飛び交うチャットに。
誰から求められているわけでもないし、飛び込まなくてもいいのに、気がつくとその渦に身を投じていた。つい検索してしまう。つい見てしまう。ついつぶやいてしまう。つい「いいね」をもとめてしまう。
モスクワのシェレメチェボ空港に降りた時、とてつもない不安と同時に、とてつもない解放感を覚えた。ああ、これでしばらく、少なくとも24時間は私は一人だ、と。(ロシアの携帯番号を持たない者は、入国して24時間は完全にネットがつながらない)。
便利さにも疲れていた。(なんと罰当たりな)。
ルーブルを持たない私はまず空港の銀行で、レートが悪いと知りながら、換金をした。300ドルは22800ルーブル。日本円にして45600円。町中ならば25800ルーブル=51600円。その(レートが悪いと知りながら換金)という行為に、もうワクワクしてしまった。
いまロシアでは欧米系のカードが使えない。長く住むのなら、ロシアの電話番号があれば、携帯で予約したり支払ったりできるが(この点では日本よりはるかに進んでいるし、物乞いにすらQRコードで施しができてしまう)、 携帯番号入手の時間と手間が私には面倒で、すべての支払いは現金にしようと決めていた。
レートが悪い方がいい、というブルジョワでも、もの好きでももちろんなく、携帯やカードを持たなかった頃の不便さと旅の緊張感が欲しかったのだ。
つづき>>>侵攻を続けるロシア当局が「通信のブラックボックス」を作り出す、それが私の自由を生む。なんたる皮肉か



