[第23回]宮城・大川小の津波被害(後編)保護者から見れば…
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もちろん最も優先すべきは子どもの命である。
震災によって突然失われないための最良の方法を見つけることだろう。
それはマニュアルの有無には関係ない。その時の状況を判断し、即、避難しなければならない。
このことを前提にすれば、保護者としては、そのような即座に判断ができなかった理由を問いたい。
保護者から見れば、突然、子どもがいなくなってしまうことは想像もしていない。
だからこそ、学校側には説明責任が生じる。
とはいっても、1000年に一度の大震災で、仮にマニュアルがあったとしても、即座に判断できたのかは分からない。
判断できたとしても、マニュアル通りがよかったのか。
マニュアル通りに避難したとして、そのマニュアルが、今回の震災に適していたものかどうかはわからない。
仮に「高台」に逃げることをもっと早く判断できたとしても、子どもが助かったのかどうか分からないと想像できなくもない。
そのため、同情すべき点がないわけではない。
裏山は「高台」と比べると、津波被害は少ない。
仮に避難先を裏山としていれば、ここまでの犠牲はなかったかもしれない、と思うが、それは結果が見えている段階での私見であって、当時、私がその教員集団の中にいた場合、そう判断できた確信があるわけではない。
子どもの生死を分けたものはいったい何なのか。
市教委や学校側は誠実に検証する必要がある。
大川小で犠牲となった子どもの遺族の話を聞いたことがある。
その遺族は、誰も責めていなかった。
もしかすると、責めたい気持ちがあったのかもしれない。
市教委を責めたところで、子どもが帰ってくるわけではない。
しかし、十分な検証をすることが亡くなった子どもたちのためであり、保護者のためでもある。
それらは、今後の災害対策にも役に立てることができるはずだ。(終わり)
《NewsCafeコラム》