ある名刺屋が閉店した
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新聞記者時代(会社員時代)は名刺は会社が用意してくれました。しかし、フリーになると、自分で名刺を作るしかありません。パソコンでも作ることができましたが、名刺を大量に欲しいとなると、パソコンで作ったものでは見栄えが悪いのです。まだパソコンで作る名刺は思うように作れません。そこで、困ったときにすぐに行くことができるお店を探したときに、「耕文堂」を見つけることができたのです。以来、15年ほど通い続けました。
「耕文堂」は、JR新宿駅西口で、旧青梅街道となる細いトンネルを抜けた付近にありました。約50年前にお店のNさんの義理の父が始めたといいます。その頃と比べると並んでいる店もずいぶんと変わり、お店も狭くなったために、隣も借りたというのです。
「もともとはうちは半分だった。しかし狭いから隣を借りた。その分、家賃も大変なんですが。まさかこんなに長くやっていくとは思わなかった。(再開発するなどで)出て行けと言われると思った。ただ、そうしてここに店を出せたのかは定かじゃないんです」
お客さんの中には外国人も多いが、最近では様変わりをしていたのです。
「ホテルが多いので外国人が多いんですよ。判子もカタカナのもだったりする。友達が友達を呼ぶので、それなりに繁盛しました。日本人の客層はいろいろです。一時期はホストも多かったですね。黒い紙で、ゴールドの字の名刺が出たんですが、いまは減りましたね。ホストも名刺にお金をかけていられないんじゃないか。サラリーマンも多いんです。『会社では時間がかかる』と、自腹で作っていました」
私が「耕文堂」に通い続けた理由は駅に近いというのもありますが、他にもあります。2005年後、NHK教育テレビのETV特集に私が出たのをたまたま見ていたと声をかけられました。また、夕方のスーパーニュースでニュースの解説でVTR出演したときも、何度か見たということで、感想を話してくれました。私にとっては、近所の人がテレビを見たと言ってくれているくらいの親近感があるような会話ができたのです。そう感じていた私は、こういう人にニュースを分かってほしいというモデルのような存在となっていたと思っています。
そんな「耕文堂」を畳むのを決めたのは去年の冬。3年契約の更新が2月でやってくる。このまま続けるかどうかを悩んだ結果、辞めることにしたというのです。
「この決断で間違っていなかった。これでいいんだ」
と思ったようだが、いろいろ考えて眠れない日もあったのです。
「(自分の店でも)いつまでも続くわけじゃない。いつかは終わる」
そう思うことしたのです。「それが早いか、遅いか」だとも。私は閉店をする前日の1月30日に最後の挨拶をしに、顔を見せた。名刺の版下を処理している最中だった。「お疲れさまでした」。私は15年ぶりに名刺屋を探すことになった。
[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
[写・Roger.elaws]
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