消えてゆく記憶「津波・震災遺構」
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一時はTV報道で有名になった「大槌町の民宿に乗り上げた観光船・陸前高田市の旧市役所・気仙沼市の打ち上げられた大型漁船・南三陸町の鉄骨のみが残った防災対策庁舎・石巻市の公民館に乗り上げた観光バスと倒壊した巨大缶詰看板」が解体・撤去「一部保存&審議中が大槌町の役場庁舎・石巻市の門脇小学校」である。完全に保存が決まったのは「宮古市のたろう観光ホテル」だけである。
多くの震災遺構が解体・撤去に至った理由の多くは一部の遺族からの「見るのがつらい」と言う意見と「遺構周辺の復旧の邪魔になる」と言う現実的な理由である。なかなかに難しい選択である。その先例が「広島・原爆ドーム」である。広島原爆ドームの関係者は『広島の爆心地にある原爆ドームも当初は保存と取り壊しで大論争となった。「補強すれば保存できる」との調査をもとに保存が決まり、今や原爆ドームは「世界文化遺産」に登録されている。「原爆ドームのない広島は考えられない・原爆ドームがあることで被害を実感してもらえる・核廃絶のシンボルとなっている」が大方の受け止め方である。3.11の震災遺構も同様で壊したらもう取り戻せない。後世に伝えるためにも残すことを考えるべきである』と言う。遺族にはつらい話だろうが「保存の意義・保存することによる後世へのメッセージ性」を考えるべきではないか…と思うのである。
後世に残すものがないのが「同じ原爆被災地・長崎」の状況である。長崎の「原爆忌」のTV報道で映るのは「西村西望作の原爆祈念像」だけである。彼の井の頭公園の一隅にあるアトリエには「試作の像」が残されているのである。その様な祈念像になったのは「被曝した浦上天主堂が戦後解体されてしまった」からである。長崎被曝のシンボルがなくなったことを残念がる声は今もあると聞く。まさにその通と思うのである。「見たくない・伝える意義がある」は永遠のテーマかもしれないが、多くの前例を見て感じるのは「死者は後世に伝えたいものがあるはず」と言う事である。
新聞報道に御巣鷹山日航ジャンボ機墜落事故の事務局長が『もう見たくないと言う気持ちと忘れてほしくないと言う気持ちがある。「事故ジャンボ機の残骸は残さない」と言う決断もある意味では正しいが、なくなると元に戻せないのも事実である。後世に伝えることが大切』と言う言葉は重いと思うのである。「ここまで津波が到達した」と言うモニュメントもよいが「キチンと遺構を残す」と言う事も重要と思うのである。
[気になる記事から時代のキーワードを読む/ライター 井上信一郎]
《NewsCafeコラム》