「核心部分がわからない」と遺族は不満 大川小学校の検証委の「最終報告書案」
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検証委が調査していたのは「事前対策」と「当日の避難行動」、「事後対応」でした。当初から「当日の避難行動」を「核心部分」としていましたが、調査方法としては「外堀から埋める」方法をとり、なかなか「核心部分」を公にはしていませんでした。それがやっと昨年12月に出されました。しかし、遺族が調査して明らかになった事実よりも詳細ではないために、傍聴した遺族から不満が続出していました。そして、今回も「核心部分」について不満が多く出されました。
一方、検証委からすれば、「核心部分」を詳細に検討したとしても、報告書にある程度であったとしても、導かれる教訓は同じであり、これ以上「核心部分」を調査しても仕方がないという立場をとっています。そのため、当日の詳細なレポートを望む遺族と教訓を引き出すことを重視する検証委との思いのズレが生じているのではないでしょうか。
亡くなった子どもが津波がくる前から「山さ、逃げっぺ」と言っていたと、生存児童の証言もあります。しかし、この部分は報告書案には掲載されていません。それによりも、「余震が怖いため、輪になった児童は、お互いに手をつないだり、『大丈夫だぞ』などと励まし合ったりしていた。しかし一方で、一部の児童が校庭の端にある樹木の付近で遊び始めたとする証言や、子ども同士の会話はゲームやマンガ、翌週の時間割のことなど日常的なものだったと証言もある」と書かれています。なぜ、危機感を持った子どもがいたことは記載されなかったのでしょうか。証言の信憑性が疑問であれば、証言リストを作成し、信憑性を疑う理由を述べればいいのではないかでしょうか。
これも報告書案には記載がないが、震災後の遺族説明会のとき、市教委が「学校では津波がうずをまいていた」と説明しています。「これは誰の証言なのか?」と聞かれると、検証委では「You tubeで見た映像」と答えました。しかし、You tubeであがっている映像では、周辺の動画はありますが、学校は映っていません。しかも、その説明会の時点では、Youtubeには映像あがっていないことを指摘されました。
心のケアについても、教育長が遺族との対話の継続性を述べたことを触れていますが、子どもが行方不明の遺族は「教育長に直接会って、どうしてうちには弔問に来ないのか?」と問い質したことがあるが、その際、教育長は「まだ死んでいると確定したわけではない」ことを理由にしたという。しかし、そのことをテレビの取材で言い、放映されると、翌日に教育長が弔問にやってきたことを明かしました。こうした事後対応も、遺族の不信を招くところです。検証委は、こうした事実をつかみきれていなかったようです。
まだまだ検証すべき論点がありそうですが、今回でオープンな場での議論は終わります。26日に遺族に最終報告案を説明することになっています。これを経て、最終報告書が提出されることになります。
前回の課題だった検証委が収集した情報を保存するかどうかについては、公開情報か非公開情報かを問わず、第三者的な機関に保存する方針を示しました。しかし、私が記者会見で「その情報に、メールでの議論は含まれるか?」と聞いたところ、「含まれない」としました。メールでやりとりは残されないことになるようです。つまり、議論の過程を検証することができないことになります。こうした一つひとつが、事実を知りたい遺族の不満を呼ぶのだろうと思います。
[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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